徳島・松嶋5年間を糧に「教師の道」へ
【徳島・松嶋亮太内野手】
大学卒業から5年間、松嶋亮太が27歳まで野球を続けた理由は、ただNPBに進みたかったからである。
1年目、最終戦まで首位打者を争い、打率・370を残した。守備は3年目に「これで大丈夫!」というレベルにまで達している。
「1年目に『これかな』というものが出ちゃった。それを追い求めて。なおかつ、それだけじゃプロに行けない。あのときの感覚プラス、強く振れたり……」
以降、高いレベルのスイングを追い求め続けた。昨年6月の北米遠征終盤、同行した智勝コーチ(香川)との取り組みのなかでヒントをつかむ。帰国後、その感覚を実戦で確かめた。
「後期終盤にもあのときの感覚でやってみて『やっぱ、これだな』という感じがあった。5年間いろんな人に言われたことが全部分かる。最後の最後でつながった感じがありました」
2014年、同期入団の大谷真徳、吉村旬平らが日本一の栄光と共に退団した。彼らのスッキリとした表情を見て「いま、ああいう顔で辞められるのか?」と自問自答した。悩んだ末に臨んだ5年目である。
振り返って思い出されるのは11年の最終戦(9月23日、坊っちゃん)だ。2安打すれば逆転首位打者に立つ第1打席に中前安打を放ち、2厘差に迫る。周りが「あと1本!」と沸き立つなか、連続敬遠で勝負を避けられタイトルを逃した。大きく物議を醸した試合だ。
「あのときの雰囲気が……。いろんな感情がありました。最初のヒットで鳥肌が立ちましたし、敬遠されるごとにウチのベンチが怒ってくれたことだとか。いままで野球してきて、初めての雰囲気だったので」
5年間続けて来られたのは支えてくれた父・享助、母・寿枝のおかげだ。2人には感謝しかない。すでに故郷・島根に戻り、高校の体育教師を目指して勉強中である。未来には多くの選択肢と可能性があることを、生徒たちに伝えて行きたい。
「失敗したら失敗したで、次に向けて軌道修正すればいい。チャレンジしたことは自分の糧になると思う」
夢を追い掛けて挑戦し、実践したからこそ、胸を張ってそう言える。