徳島・養父監督 海外での経験生かし初の監督業 選手、徳島の人たちを大切に
【徳島・養父 鐵監督】=文・高田博史
台湾プロで投手コーチの経験はあるが、監督を務めた経験はない。徳島の新監督を務めることは、養父鐵にとって新たな挑戦だ。
2月に入ると同時に、新チームの合同自主トレが始まった。まずは投手陣を中心に選手の動き、考え方、各自が設定した目標を知ることから始めている。
「体の根本的な部分。車でいうエンジンができていない子が非常に多い。プロとして考えるのであれば、1年間を通して投げ切れるピッチャーかどうかが、まだ見えない。ただ、これから体を鍛えていったら楽しみだなという子もいるので」
3月に高校を卒業する17歳もいれば、27歳もいる。やろうとする意識、練習に取り組む姿勢に、それぞれ差があるのは当然だろう。監督自ら選手1人1人と言葉を交わし、大切に育てていきたいと考えている。
だが、プレーするのはあくまで本人だ。大切なことは、自分がどう行動するか。
「自分というものをしっかりもってやらないと。一瞬なんですよね。野球の判断って。そこで迷っちゃうとか指示を待っているようだと、必ずワンテンポ遅れる。そうすると、いい結果って出ないんですよね」
覚悟を持って徳島にやって来た。愛車のナンバーを「湘南」から「徳島」に変えるつもりでいる。
台湾、北中米とさまざまな国でプレーし、仲間を作ってきた。その土地の人たちと仲良くならなければ、うまくいくはずがない。世界中を舞台に生きて来たからこそ分かる経験則だ。
徳島の人たちを大切に。徳島を好きになるようにと、選手たちに求めた。
「よそ者かもしれないけど『一生懸命やりますよ!』ってやってたら、必ず人って応援してくれるようになると思うんですよ」
堂々と、潔く。正面から飛び込む。
取材日、投手陣最後の練習メニューは両翼のポール間を往復するインターバル走だった。走る選手たちに積極的に声を掛けている。
「メニュー足りる?大丈夫?」「大丈夫っス!お腹いっぱいっス!」
しっかり言葉を交わし、明るく元気に前向きに。それが養父監督のやり方である。