徳島・中臺 応援してくれる家族、天国の父のために…背水の陣で挑む2年目
【徳島・中臺淳志投手】文=高田博史
石井貴監督(元西武)からは「七回か八回、左打者が多いところで行くから」と告げられている。7月18日、灼熱(しゃくねつ)のデーゲームとなったオリックス2軍戦(舞洲BS)七回表、中臺淳志がマウンドに登った。
左打者が2人続く。先頭打者を1球で右飛に打ち取ったところで考えた。中途半端に行ったらダメだ。遊び球も様子見もなし。1球1球、全部勝負しよう。
次の打者を遊飛に、3人目も捕邪飛と、たった5球でこの回を投げ終えた。タイミングを外したカットボールがうまくハマった。
「やりたかったこと、やってきたことっていうのは出せたかなと思います」
1年目は納得のいく成績を残せていない。ラストチャンスのつもりで挑む2年目を前に、サイドスローに転向している。開幕前、石井監督から「ピンチで左バッターを抑えてアピールしていこう」と言われた。
だが、初登板となった対ソフトバンク3軍前期1回戦(4月4日、アグリあなん)、翌日の2回戦と、2試合連続で左のコラス(キューバ)に安打を許した。それ以降、2度の練習生落ちを経験し、前期終盤まで登板のチャンスがほとんどなかった。巻き返すのはこれからである。
「去年は、なった日本一じゃなくて、ならせてもらった日本一なので。今年は自分からつかみ取りたいですし、家族が応援してくれているので。天国のお父さんにも……」
昨年3月、父が勤務中に急逝した。葬儀の際、父の同僚から「君が野球頑張ってる息子さん?」と、何人にも声を掛けられた。会社に残された遺品を整理していたとき、父のパソコンの画面が自分の入団会見時の写真だったことを知る。
1年目を終えて、もう実家に帰ったほうがいいかなと考えていたころ、母・智香子さんに叱咤(しった)された。
「なに言ってんの!仕事辞めてまでして、2年間だけ夢に挑戦するって決めたんだから、家のことは気にしなくていいから挑戦してきなさい!」
後期こそ、与えられたチャンスを確実にものにしていく。応援してくれる家族のためにも。