【73】安全管理の担い手 金属バットを魔法の杖にしてはならない
「日本高野連理事・田名部和裕 高校野球半世『記』」
現在高校野球で使用している主な用具は、製品安全協会(東京都台東区)が定めた安全基準によってその安全性が守られている。
同協会は1973年に消費生活用製品安全法(Sマーク)が制定され、当時の通産省の外郭団体として設立された。
安全基準が最初に制定されたのは乳母車だ。
野球用具では、打者用ヘルメット、次いで金属製バットが「特定生活用安全製品」に指定され、この基準に適合していない製品は、日本国内で製造、販売できないという厳しい基準だった。
ところがその後、82年12月に日米貿易摩擦でオレンジや牛肉などが問題になり、軟式用金属製バットがやり玉に挙がった。
全日本軟式野球連盟は、当時海外では軟式野球の活動はなく、国内製品に限る公認制度を設けていた。
これを誤解した米国の通商代表が、「日本は非関税障壁を設けて外国製品を制限している」と日本政府に申し入れた。
さっそく通産省から日本高野連にも問い合わせもあったが、高校野球は、もともとハワイチームが73年6月に親善試合で来日した際、アルミ合金のバットを紹介、翌年からこの米国製品を公式試合でも使用を決めていた。もちろん使用認可は国内産に限定していない。
結局、軟式野球用バットの国内限定規制は解かれたが、軟式野球用の外国製品はなく、実質的には何の影響もなかった。
ところがこのことが別の事態を生んだ。通産省は、すぐさま83年1月にSマーク基準を廃止し、SG基準を新たに設けた。SGは基本的には製造メーカーの自主基準で、安全性の基準はSと変わらないものの、法律による罰則からは除外された。
これが影響したとされたのが、翌年市場に出てきた「試合専用バット」だ。バットの重量を軽くし、打球部の肉厚をぎりぎりまで薄くした製品だ。打球部の肉厚が薄いとトランポリン効果で、打撃時にバットの表面がへこむ。その分、ボールの衝撃による変形量が少なくなり、より遠くへ飛ばせるという理屈だ。
だが、日航機の事故で話題になった金属疲労が起きやすくなる。
だからバットの耐久性はなくなるから「試合専用」として売り出していた。
「金属製バットを魔法の杖にしてはいけない」は、当時の牧野直隆会長の姿勢だった。
85年2月、ちょうど第57回選抜大会を前にした時期だったが、市場調査の必要を感じ、PL学園や市尼崎高校などを訪れて使用している金属製バットを数本供出してもらい製品安全協会に検査を委託した。
するといくつかの試料バットで不適合品が判明した。肉厚が薄いため、定められた強度が満たされていないという結果だった。
製品安全協会は急きょ全製品の再検査を行い、改めて基準に適合した銘柄を特定、不適合品を回収するという騒ぎになった。
これを機会に我々競技団体側としても安全基準の内容を詳しく勉強することになった。
86年12月、新たな金属製バットの安全基準が制定された。
製品安全協会の専門委員会は、材料工学や応用物理学の科学者、製造メーカー、検査機関、そして消費者代表が参画する。
強度不足による事故がないよう、徹底した検討がなされる。現在対象は、金属製バットと打者用ヘルメットのほか、捕手用ヘルメット、マスク、投手のヘッドギア、胸部保護パッドなどがある。
金属製バットは日本文化用品安全試験所で、ヘルメットなどは、日本車両検査協会で強度検査が行われている。
製品安全協会とともに検査機関に携わる人々によって確かな安全性が守られている。
競技団体だけではとても制御できない。