【86】高校野球の語り部 称賛と思いやりのアナウンサー土門正夫さん

 「日本高野連理事・田名部和裕 高校野球半世『記』」

 土門正夫さんは、NHKの名アナウンサーだった。1951年にNHKに入局、多くの高校野球やプロ野球の名勝負を実況された。

 日本で初めて五輪がテレビ中継された60年のローマ大会、64年東京大会では閉会式の実況など多くの五輪中継も担当された。

 春夏の甲子園大会では、決勝戦をはじめ数多くの試合をテレビ、ラジオで実況された。古くは山本英一郎さん、松永怜一さん、池西増夫さんら球界を代表する解説者と絶妙の実況をされた。好プレーには称賛を、失策には思いやりの言葉を添えてくださった。

 高校野球がこれだけ長い間、全国的な関心を持たれてきたのはメディアの伝え方に大きな要因がある。

 現在、日本高野連では連盟創立70年を期して連盟史を編纂中だ。

 今年2月に各界の関係者に「私と高校野球」をテーマにコラムの寄稿をお願いした。もちろん土門さんにもお願いした。

 4月上旬ごろ土門さんから電話があり、「遅くなってすまないね。なかなか筆が進まないよ」と少し聞き取りにくかったが張りのある懐かしいお声だった。

 すると28日に原稿が届いた。『まだまだ教育途上の選手たちは、野球を通して先輩を敬い、後輩には優しさを持ち、一生懸命に技を磨くことによって人と人の繋がりを深めるという人間として一番大切な、日常ではできないことを学んでいる』と実況を通した感想を書いておられた。

 また「PL学園の奇跡の逆転」の快挙を2度も見ることができたと当時のメンバーを詳細に書いておられた。

 字数と平仄(ひょうそく)を調整してすぐさま30日に校正案をお送りした。

 すると5月5日付の朝刊で、2日に他界されたことが報じられた。

 87歳のご高齢だったが、お元気そうだった。日付を見るとまさに絶筆だった。ご家族に申し訳ない気持ちで奥様にお悔やみとお詫びの手紙を差し上げた。

 すると数日後奥様から、「主人は今も高校野球の中継を楽しみにしていましたよ。校正原稿は確認できませんでしたが、納棺させていただきました」と電話をいただいた。目頭が熱くなった。

 80年3月の選抜大会直前に亡くなった佐伯達夫会長のお別れ会を後日開くことになった。大阪放送局に伺い、土門さんに司会をお願いした。

 「佐伯さんのお別れ会の司会?俺緊張しちゃうな」と言いながらも厳粛な進行をしてくださった。

 先のコラムの結びは、『放送も後輩アナウンサーたちが、高校球児に負けないよう一生懸命頑張っています』で、まさに最後の言葉だった。

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