侍・山本 高校時代の恩師・森松氏が語る由伸の原点 泣き虫変えた雨中の敗戦

 山本の恩師・森松監督がメッセージを送った
 練習中に真剣な表情を見せる山本
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 2009年以来の優勝を目指し、準々決勝進出を決めた侍ジャパン。日本代表に名を連ねた選手たちの原点、素顔に迫る「侍外伝」の第6回は、オリックス・山本由伸投手(24)。12日のオーストラリア戦では4回1安打無失点、8奪三振の快投。都城高時代の森松賢容監督(現延岡学園監督)が、今では想像できない弱々しい高校時代を懐古。NPBの絶対的エースの原点は三塁でのノックだった。

  ◇  ◇

 運命的な出会いだった。2人が初めて会ったのは、由伸が中学3年の10月。森松監督は別の選手の視察に訪れ、ごく普通の二塁手だった由伸を見て「あの子と野球がしたい」と直感した。後輩への声かけや練習姿勢、何よりも野球が大好きだと感じた。

 当時は二塁手か遊撃手で育てる予定だった。その考えが変わったのは、都城高での練習初日。キャッチボールを見ると「こんないい球を投げられたのか」と驚いた。「由伸、ピッチャーもしてみよう」。この一言がなければ、今の山本由伸は存在しない。

 ただ、すぐに投手専念はさせず、三塁手との二刀流。その裏には、森松監督の確固たる意図があった。それは、投球時の大きいテイクバックを少しでもコンパクトにしたかったから。三塁から一塁へ素早く強い球を送球する技術が備われば、18・44メートルの距離も問題ない。ノックが大好きな指揮官は2時間以上、白球を打ち続けることもあった。

 本格的に投手になると瞬く間に成長。入学時の最速124キロから1年秋に138キロ。2年春に140キロを超え、夏には148キロを計測した。なぜ、こんなにも進化するのか。理由は単純だった。

 「本当に野球が好きで、もっと野球がうまくなりたいというのが見ていてすごかったと思います」。寮をのぞけばシャドーピッチングや素振り、道具の手入れに時間を使っていた。一瞬たりとも野球が頭から離れない。

 そんな由伸を強くするため、何度も叱った。最大の激怒は1年秋の延岡学園戦。天候やグラウンド状況の悪さを理由に、由伸は自分本位の投球を続けていた。ベンチで「お前さ、何やってんの」と叱った。強制的に九回のマウンドにも立たせ、二回まで7-1のリードから9-10で逆転負け。励ます先輩の声も届かない。人目もはばからず号泣し、バスに乗り込んでからも一人で涙を流した。

 ただ、由伸の強さはここから。次の日には顔色を変え、練習に取り組んだ。走る姿勢から、まるで違う。「経験から成功に変えていく速度が速い。日々、失敗の中から成長していた」。決して、立ち止まることはない。野球日誌にもポジティブな言葉を並べ、常に前進していた。

 すると、高校2年の5月。門馬監督率いる東海大相模との招待試合が組まれた。土砂降りでグラウンドには川ができ、野球ができる状態ではない。だが、門馬監督の一声でプレーボール。悔し涙から半年以上が過ぎ、ぬかるむマウンドには懸命に腕を振る、頼もしい由伸の姿があった。「由伸よく投げてるな。我慢して投げてるな」と森松監督も感心した。しかし、相手の小笠原(現中日)は、その上をいく。晴天のグラウンド状況かと思うほど、球速も制球も完璧だった。

 「由伸、見てみろ。小笠原君は絶対すごい投手になるよ」。由伸も「めっちゃすごいです」。ここでもまた悔しさを味わった。

 今では球界を代表する大投手になったが、その裏で何度も壁にぶち当たってきた。それでも、根底にあるのは野球が大好きという思い。WBCでも日の丸の重圧を感じながら、大谷やダルビッシュらと戦うことに喜びを感じている。

 12日のオーストラリア戦では4回1安打無失点8奪三振の快投で、全勝での準々決勝進出に導いた。森松監督は優しい目で言った。

 「高校1年の彼は弱々しくて、すぐ涙目になる子だった。それが日の丸を背負って、大きな舞台で堂々と投げる。すごいなって、本当に思いますよね」

 「頑張れ」なんて、簡単には言えない。けがをすることなく、由伸が野球を楽しむ姿をただ見たい。電話は節目節目にくれる。次は世界一になった時、着信音が鳴り響く。

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