放駒理事長時代 激動の1年半だった
大相撲の元大関魁傑で、放駒親方として第62代横綱大乃国(現芝田山親方)を育て、さらに一昨年まで日本相撲協会理事長を務めた西森輝門(にしもり・てるゆき)氏が18日午後に急死した。
西森氏が理事長だった1年半は、相撲史に残る激動期。八百長問題で関与認定者25人に事実上の角界追放を科すなど、苦渋の決断の連続だった。
10年8月に第11代の協会トップに就任した半年後、八百長問題が発覚。11年3月の春場所の中止を決定し「長い相撲の歴史で最大の汚点」と話し、謝罪した。処分を断行し、同年5月に無料公開した技量審査場所を経て、7月の名古屋場所で興行復活にこぎ着けた。
相撲協会の公益財団法人認定を目指し、組織改革にも取り組んだ。高額のやりとりが問題視された年寄名跡の扱いでは、親方衆の猛反発もありながら、協会が一括管理するという案を固めた。憎まれ役を引き受けながら協会再生に寄与した1年半だった。