バレー元女子代表監督の小島孝治氏死去
バレーボール監督として女子日本代表を1972年ミュンヘン五輪銀メダルに導き、ニチボー貝塚の連勝記録を伸ばした小島孝治(こじま・こうじ)氏が27日午前0時15分、肺炎のため大阪市内の病院で死去した。83歳。大阪府出身。自宅は大阪市阿倍野区昭和町4の5の20。葬儀・告別式は29日午前11時半から大阪市東住吉区長居公園1の32、仏光殿臨南寺会館で。喪主は長男寿雄(ひさお)氏。
小島氏は関大卒業後、大阪の四天王寺高女子バレー部で指導者としての能力を発揮。64年東京五輪金メダルの「東洋の魔女」を育てた故大松博文監督の後を継ぎ、65年にニチボー貝塚(後のユニチカ)監督に就任、伝統の守りのバレーで公式戦連勝記録を258にした。
ミュンヘン五輪2位の後、金メダルを有力視された80年モスクワ五輪は、日本の不参加で“幻の代表監督”に終わった。70年世界選手権2位など、世界一のタイトルとは無縁だった。