青学大が完全V 原監督の情熱結実
「箱根駅伝・復路」(3日、箱根町~大手町=5区間)
往路1位の青学大が復路も5時間25分29秒で制し、10時間49分27秒の箱根史上最速タイムで1918年の創部以来、初の総合優勝を成し遂げた。今大会から新コースのため、参考記録となった2012年に東洋大がマークした元の往路、復路、総合の大会記録をすべて塗り替える圧倒的強さを見せた。
目にも鮮やかな新緑のタスキが、新春の箱根路をさわやかに駆け抜けた。アンカーの安藤が青学大にとって悲願のゴールテープを切ると、歓喜が爆発。この日のために約5キロダイエットしたという就任11年目の原晋監督は、選手たちに抱え上げられ3度宙を舞った。
3代目“山の神”の神野がつくった往路の貯金に頼らず、復路は7~9区が3連続区間賞を獲得し、全員が区間2位以上でまとめる圧巻の強さで完全V。2位駒大との10分50秒差は12年東洋大の9分2秒差(2位駒大)を超え、平成では最大、歴代でも5位の大差勝ち。10分以上の大差は88年の順大(17分9秒差)以来の圧勝だった。指揮官は「学院140周年にふさわしい優勝。素直にうれしいが、この圧勝には驚いた」と感慨に浸った。
元敏腕営業マン監督の思いが結実した。76年本戦出場を最後に、長らく箱根から遠ざかっていた青学大。復権を託されたのは、箱根駅伝は未経験、当時中国電力で選手を「クビ」になり、社員として省エネ空調機の「伝説の営業マン」だったという原監督だった。
「原という男の価値を認めてもらいたいという気持ちだった」
大学が駅伝部を強化指定にした04年に就任。「10年で、箱根で優勝争いをできるようにする」と、ぶち上げた。ただ、道のりは決して平坦ではなかった。就任当時は「青学らしい」と言われる自由な校風をはき違えた部員もいた。指揮官は「やんちゃというより荒れてた。更正しないといけなかった」と苦笑いで振り返る。
監督就任後、厳しくなった練習に「青学の自由な校風がなくなった」と退部する部員も出た。06年の予選会で16位に敗れた時には、廃部の危機にも陥った。
それでも指揮官の情熱は、徐々に浸透していった。営業マン時代に培った目標実現のノウハウを指導に取り入れ、年、月、週ごとの目標を立てさせるミーティングを実施。選手自身の「自立」を目指した緻密さを植え付ける意識改革に成功した。
一方で、練習以外の部分では青学の校風である「自由さ」を許容した。「表舞台に立つときはオシャレをしていい。やってることは泥臭いんだから」。周囲から「青学はちゃらい」と言われてきたという原監督は「最高のほめ言葉」と笑う。
そんな指揮官の作り上げた駅伝部の雰囲気に惹かれ、青学大を選ぶ学生が増えていった。5区で新たな“山の神”となった神野大地(3年)は、中京大中京高2年の菅平での合宿で、原監督に素質を見出された。「宿舎に来てくれて、一番最初に『ぜひうちでやらないか』と言ってくれた。最初に会ったときからギスギスしてないというか、明るくて。この監督のもとで走りたいと思って決断した」
09年に33年ぶり本戦出場、10年のシード権獲得、そして今年の初優勝。指揮官が蒔いてきた種は着実に芽を出し、そして大きな花を咲かせた。
神野ら主力が4年生となる来年も間違いなくV候補の筆頭。原監督は「チーム力のピークは来年」と言い切る。苦難を乗り越え箱根に芽吹いた新緑は、ここからさらに存在感を増していく。