車掌今村、五輪のメダルが終着駅だ

 リオデジャネイロ五輪に挑む選手の経歴や境遇は、さまざまだ。セーリング男子470級代表の今村公彦(32)=チームアビーム=はJR九州所属の鉄道マン。運転士や駅員として働きながら五輪を射止めた苦労人だ。信念を貫く異色キャリアのアスリートに迫る。

 日焼けした今村は笑みをたたえた。「諦めなければ夢はかなうって…。心底思います」。現在は特例で勤務を免除されているが、JR九州運輸部企画課に籍を置く。同社初の五輪切符をつかむまで順風満帆ではなかった。

 入社直後の2006年5月にJR筑前前原駅(福岡)で駅員デビュー。みどりの窓口や構内放送業務などに従事した。練習は原則、非番の日で「夜勤明けなので睡眠は3時間ぐらい。若さで突っ走れた」が北京五輪の出場はならなかった。

 そこで一度社業に専念。08年2月に車掌となり、運転士の研修に入った。09年9月に独り立ち。初めて車両を運転した時はブレーキや加速の感覚に全神経を集中し「重責に腕が震えた」。普通、快速、そして特急「リレーつばめ」(九州新幹線開通で11年3月運行終了)などあらゆる運転を経験した。最も気を付けたのは眠気対策。勤務時はコーヒーや清涼菓子「フリスク」をこまめに口にした。

 仕事のやりがいも増したが五輪を諦められなかった。12年ロンドン五輪を見据え、海外転戦で上達しようと10年に休職を直訴。3カ月間の休職を認められ、満を持して臨んだがロンドン五輪の扉もこじ開けられなかった。

 申し訳なさで12年9月に引退したが、3カ月後には撤回し、海に戻った。「夢をどうしても捨てきれなかった」。大学の後輩・土居一斗とコンビ結成。会社とチームのアビームから支援を受ける恵まれた環境を生かし、悲願を達成した。

 「会社の理解があってこそ」と感謝する。運転士の経験もプラスに捉える。「あの緊張感や安全第一の精神は大舞台で必ず生きる。海上の見えないレールを最短距離で走り抜けたい」。進行中の航海は、恩返しとなる五輪のメダルが終着駅だ。

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