稀勢の里の優勝なし昇進に“待った”
大相撲夏場所の終盤戦だった。初日から12連勝と快進撃を見せた大関稀勢の里に対し、審判部内にこんな声が上がった。
「稀勢の里が14勝したら、優勝なしでも(横綱昇進を話し合う)理事会の招集を八角理事長(元横綱北勝海)に要請してはどうか」
結果的に稀勢の里は13日目に横綱白鵬に完敗し、14日目の横綱鶴竜戦も黒星。千秋楽の横綱日馬富士戦に勝っても、13勝にとどまる見通しとなったため、千秋楽の正午から行う可能性があった審判部会は開かれず、優勝なし昇進の話は幻に終わった。
だが、もしも稀勢の里が14勝を挙げ、審判部が優勝なし昇進もありという判断を八角理事長に上げていたら、日本中が大騒ぎになっていたのは間違いない。というのは、1986年に優勝経験がないまま横綱に昇進した双羽黒が、昇進後も優勝できないまま、在位8場所で引退した前例があり、その反省から旭富士以降の9横綱は2場所連続優勝(鶴竜は優勝同点、優勝)で昇進しているからだ。
確かに稀勢の里の成績は安定してきている。12年初場所の大関昇進以来在位27場所で284勝121敗。勝率・701で1場所平均10勝以上を挙げ、この間にかど番はわずか1回。こういった状況の中で春場所は13勝を挙げ、そして夏場所14勝を挙げていたら…。日本相撲協会としても日本人横綱はのどから手が出るほど欲しい。審判部内に優勝なし昇進の声が出るのも分からないではないが、果たしてそれが妥当なのかどうか。
結論として、優勝なし昇進は“待った”が正解なのではないか。何より稀勢の里という力士の心を考慮する必要があると思う。優勝なしで昇進すれば、世間の支持、応援の裏側で、特別扱い、日本人に対するえこひいきなどと批判も浴びることになるだろう。元来が真面目で実に繊細な男である。昇進後は責任を感じて一心不乱に初優勝を目指すに違いない。だが、それを果たせなかった時はどうなるか。引退を早めることになりはしないか。さらに、常に真摯(しんし)に土俵を務める稀勢の里が優勝なし昇進を潔しとせず、辞退することもありうる。そうなれば、そうなったで、世間は大騒ぎになるだろうし、本人が傷つく。
夏場所で13勝を挙げた稀勢の里は次の名古屋場所(7月10日初日、愛知県体育館)へ綱とりがつながった。場所後の横綱審議委員会で守屋秀繁委員長は来場所の綱とりについて、こう認識を明らかにした。
「優勝は必須条件だろうと思う。ほとんどの委員が優勝しなければダメだという意見だった。私もそう思います。焦って横綱にすると引退を早めるという意見もあるので、きちんと優勝してほしい」。また、優勝だけでなく内容を重視する考えも明かし「13勝での優勝では、やすやすと綱とりになるとは思いません。13勝ではたとえ優勝しても(昇進は)難しい」と、昇進条件は14勝以上の初優勝とする考えを示した。
この考えは実に現実的だと思う。特別扱いは本人にとってベストとはいえないし、横綱になる前に最低1度は14勝以上で優勝する必要がある。それができないのならば、厳しいようだが、綱を締める力がないとあきらめるべきだ。稀勢の里には堂々と優勝して綱を締める姿が一番似合っていると思うが、いかがだろうか。(デイリースポーツ・松本一之)