35歳のベテランが7位入賞 「五輪コラム」

 陸上男子棒高跳びは2連覇を狙う世界記録保持者のルノー・ラビレニ(フランス)を地元ブラジルの伏兵、チアゴブラス・ダシルバが6メートル03の五輪新記録で破る大番狂わせを演じて観客を熱狂させた。冷たい雨が降り続く厳しい条件下、3人の日本代表の中でただ1人決勝に残っていた35歳の沢野大地は5メートル50を跳んで7位。戦前には複数のメダルを獲得したかつての得意種目で、日本選手が久々に入賞を果たした。

 ▽久々の好成績

 試合前にはバーを上昇させる器機の不具合で競技開始が遅れるなど集中力を保つのが難しい状況だったが、沢野は落ち着いていた。最初の高さ5メートル50を1回でクリア。5メートル65へ挑んだが、3回目の跳躍はわずかに胸が触れてバーが落下した。

 1976年のモントリオール大会では高根沢威夫が5メートル40を跳んで8位に入った。当時は6位までが入賞扱いだったので同列には比較できないが、沢野の入賞はそれ以来の好成績だ。

 初出場だった2004年のアテネ大会で沢野は13位だった。今も残る5メートル83の日本記録をひっさげて臨んだ翌年の世界選手権では8位に入賞した。しかし、08年北京では予選敗退。前回ロンドンは若い山本聖途に出番を譲った。今季は6月下旬の日本選手権で9度目の優勝を果たしたものの、五輪標準記録を越えてなかったため、7月3日に5メートル70を成功しての代表入りだった。

 ▽かつては強豪国

 世界一流の仲間入りには6メートル越えが条件という昨今では日本の苦戦が続くが、戦前は強豪国だった。入手が容易な竹のポールが主流だったことも有利な条件となり、五輪では1928年アムステルダム大会で中沢米太郎が初めて6位に入賞した。32年ロサンゼルス大会では西田修平が銀メダルに輝いた。続くベルリン大会では銀メダルが西田で大江季雄が銅メダルとなり、帰国後に銀と銅のメダルを半分に分けてくっつけた「友情のメダル」は当時の教科書にも載って国際的にも知られるエピソードとなった。第2次世界大戦後に日本が五輪復帰した52年ヘルシンキ大会でも沢田文吉が6位に入賞している。

 大舞台での沢野の跳躍は、硬さが目立った山本や荻田大樹よりずっと勢いがあった。「中一日でこういう戦いができて、まだまだできるという思いが生まれた」と手応えを話した。

 今から52年前、東京五輪の会場だった国立競技場では、フレッド・ハンセン(米国)とウォルガング・ラインハルト(ドイツ)の名勝負が演じられた。今から4年後、ベテラン沢野の頑張りで奮起した若い世代が、新国立競技場で新たな歴史を開いてくれることを願う。(船原勝英)

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