400障害に準決勝の壁 「五輪コラム」
陸上男子400メートル障害で日本選手初の決勝進出が期待された野沢啓佑が、力及ばず準決勝で沈んだ。2番手で最終ハードルを越えた後、大波のように追い上げてきた外国勢に飲み込まれた。世界選手権では為末大が銅メダルを2度獲得し、山崎一彦が決勝進出を果たしているかつての得意種目に五輪の壁が高く立ちはだかる。
▽歩数切り替えで躍進前日の予選は快調だった。今季世界ランキング上位の実力者らしく、持ち味である前半から飛び出すレースで悠々の1位通過。ゴール前は流す余裕を見せながら、自己記録を0秒05短縮する全体6番目の48秒62だった。「今回の目標は自己ベストをいかに出すか、だった。準決勝でもう一度出せるように頑張りたい。出せれば決勝も見えてくる」と話していたが、その期待を十分抱かせる内容だった。
175センチ、62キロとこの種目では小柄な部類。前半の4台目までは35メートルのハードル間を13歩で走り、その後は14歩に切り替える。このところの躍進は、スムーズな歩数の切り替えが成功したためだ。しかし、準決勝では前半のハードルを越える際に力みが目立ち、最後の直線に入った時には余力が失われていた。49秒20の1組6着に終わった。
「イメージしていたレースができたと思ったけど、課題だった後半がいまひとつだった。悔しい。五輪という舞台は本当に難しい」。手が届くかに見えた大舞台がするりと逃げていったことに納得がいかない。
▽伸びしろに期待日本の400メートル障害は1995年の世界選手権(イエーテボリ)で7位に入賞した山崎が世界への扉を開いた。洗練されたハードリングと計算され尽くしたレース運びで、日本選手で初めて48秒台をマークした。しかし、満を持して臨んだ96年アトランタ五輪では、準決勝へ余力を残すつもりで走った予選でまさかの落選。同時期に登場した苅部俊二、斎藤嘉彦も準決勝の壁を破れなかった。
そのうっぷんを晴らすような活躍を見せたのが為末。世界選手権の2001年エドモントン大会、05年ヘルシンキ大会で銅メダルに輝いた。169センチと小柄ながら、海外では「サムライ・ハードラー」と賞賛された果敢な飛び出しと美しいハードリングが持ち味だった。日本記録を今も破られていない47秒89にまで引き上げたが、五輪ではやはり壁を破れなかった。
この1年間で急成長した25歳の野沢だが、世界室内選手権の400メートルで銅メダルを獲得した苅部の走力、完璧に近かった山崎、為末のハードリング技術にはまだ達していない。逆に言えば、伸びしろは大いにあるということだ。初の五輪決勝への夢をぜひ4年後の東京で果たしてほしい。(船原勝英)