取り残されたマラソン日本 「五輪コラム」

 五輪最終日の恒例となった男子マラソン。表彰式は閉会式に組み込まれており、最後のメダル授与は最も晴れがましいセレモニーだ。日本選手がだれもいない表彰式に、「マラソン・ニッポン」の成功と挫折がよみがえる。4年後の東京五輪の表彰台に、ホスト国日本の選手は立てるのだろうか。

 ▽勝負所までに脱落

 雨の中をスタートしたレースは、25キロまでの各5キロのラップが15分30秒を超える遅いペースで進んだ。そんな先頭集団の中から北島寿典が5キロまでに遅れ、石川末広は24キロ付近で、佐々木悟も27キロ付近で脱落した。ゴールは佐々木の16位が最高で、入賞(8位以内)すら果たせない惨敗を喫した。

 2時間3分5秒の自己ベストを持つエリウド・キプチョゲ(ケニア)が30キロ以降の5キロを14分台半ばまでペースアップして圧勝したのは実力通りだ。しかし、日本選手が太刀打ちできない高速レースでもないのに、勝負所までに3人とも消えてしまった。世界から取り残された日本男子の寂しい現状を示した。

 アフリカ勢の中に割って入り、3位になったゲーレン・ラップ(米国)の健闘が光った。トラック1万メートルで5位入賞した1週間後にマラソンで銅メダル。トラックで磨いた基本的なスピードが、マラソンでも必要なことを示した。金メダルのキプチョゲも5000メートルで04年アテネ3位、08年北京2位のスピード走者だ。1964年東京五輪で1万メートル6位入賞の後、マラソンで銅メダルの円谷幸吉を思い出した。

 ▽エースを育てよ

 男子マラソンが最終日に組み込まれたのは1984年ロサンゼルス大会から。日本は不参加だった80年モスクワ五輪で「幻の代表」だった瀬古利彦、宗茂、猛の双子の兄弟が、ロサンゼルスでもそろって代表となった。最強トリオのだれかがメダルを獲得すると期待されていた。

 結果は宗猛が4位、エース瀬古は14位、宗茂は17位に終わった。米メディアからも金メダル候補筆頭と目されていた瀬古は、真夏の本番に備えた「暑さ対策練習」でのオーバーワークが敗因だったという。確実だといわれたモスクワで取り逃がした金メダル。4年も待った好機への意欲が空回りした。

 閉会式での表彰式で日の丸を上げたのが92年バルセロナの森下広一だ。実力者の中山竹通は88年ソウルに続く4位。91年世界選手権優勝のエース谷口浩美が前半に転倒して8位。これがマラソン3度目だった新鋭の森下が銀メダルをつかんだ。

 東京五輪に向けて最も望まれるのがエースの台頭である。世界と戦えるトップランナーが1人でも登場すれば、展開は変わる。

 64年東京五輪以降、世界と互角に戦っていた当時の日本にはどの時代にもエースがいた。エースが沈むと補完する2番手、3番手が出てきた。96年アトランタ以降、日本はエース不在だ。4年後に向けてトラックから素材を発掘し、短期の英才教育で「20年の星」を育成してもらいたい。(荻田則夫)

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