「五輪の名花」チャスラフスカさん死去 東京、メキシコで金7個
1964年東京五輪で金メダルを獲得し、華麗な演技から「五輪の名花」とたたえられた体操女子選手で、当時のチェコスロバキア民主化運動にも携わったチェコのベラ・チャスラフスカさんが死去した。74歳。チェコ通信によると膵臓(すいぞう)がんを患っており、30日に亡くなった。
60年ローマ五輪団体総合で銀メダルに輝き、東京五輪の個人総合と平均台、跳馬で優勝した。68年夏の「プラハの春」で民主化アピール「二千語宣言」に署名した後のメキシコ五輪は、個人総合連覇のほか種目別で3種目を制して、国民に希望を与えた。通算では計7個の金メダルを獲得した。
しかし、社会主義政権下でさまざまな圧力を受け、職を失うなど苦難を体験した。日本を愛し「社会と断絶した時は大好きな日本の桜を油絵で描き、家宝の日本刀を見て耐える力をもらった」という。
その後も民主化運動から離れず、89年の「ビロード革命」後に社会的地位を回復し、大統領補佐官やチェコ・オリンピック委員会会長などを務めた。95年に国際オリンピック委員会委員に就任したが、健康を損ねて01年に辞任した。