平尾さよなら“泣き虫先生”が泣いた ミスターラグビーをしのび各界から800人
ラグビー日本代表の主将、監督を務め、昨年10月20日に胆管細胞がんのため53歳で亡くなった平尾誠二氏をしのぶ「感謝の集い」が10日、神戸市内で行われた。約800人が参加した式典には、全国高校ラグビー大会を制した京都・伏見工時代の恩師、山口良治氏(74)=現伏見工・京都工学院ラグビー部総監督=や、日本ラグビー協会の森喜朗名誉会長(79)らが参加。サッカー元日本代表監督で、日本サッカー協会副会長の岡田武史氏(60)や、京都大iPS細胞研究所の山中伸弥所長(54)ら、生前に親交があった多くの著名人も集まり、故人をしのんだ。
53歳の若さで亡くなった「ミスター・ラグビー」。約800人の参加者の前で、山口氏は人目もはばからず泣いた。
「本当は来たくなかったんだよ」
支えられながら歩く山口氏は、まな弟子の遺影に向き合うと、つえも持たず自らの足で立ち、最後の言葉を伝えた。
2人の出会いは平尾氏が14歳の時だった。京都・西京極陸上競技場のピッチを駆ける姿に目を見張った。「あの子が行くチームには、3年間勝てへんやろう」と感じたという。
説得が実り、受験する知らせを受けた。「飛び上がって喜んだね。日本一への夢が膨らんできた」と優しい笑顔で振り返った。運命の出会いだった。そして、平尾氏は山口監督の教えを胸に、日本の宝へと成長した。
式典会場への道中、数々の思い出が走馬灯のようによみがえったという。ただ、一つだけ心残りがあった。
「親より早く死ぬなよ、って。こんな大事なことを教えてやれなかった。ごめんな」。声を震わせ、自責の念を口にした。
「君の遺影を前に弔辞を述べるなんて、夢にも思いませんでした」。謝辞が始まり、「思い出は尽きません」と言った山口氏は顔をしかめ、肩をふるわせた。「そして…」と声にするも、言葉が続かず嗚咽(おえつ)が漏れた。最後は、声を絞り出すように「さよなら…」とつぶやいた。
壇上にはラグビーのピッチをモチーフに花が飾られ、爽やかに笑う平尾氏の姿。会場には、生前に愛用した手帳や、好きだったウイスキー、葉巻、そして当時のジャージーやW杯のキャップなどが展示された。
まな弟子に見つめられ、“泣き虫先生”は目を潤ませた。「ありがとうございます。だから、泣かんといてください」。壇上で笑う平尾氏は、今にもそう言いだしそうだった。