阿部詩、一二三の妹からYAWARA2世へ
2020年に向けて“YAWARA2世”が彗星(すいせい)のごとく現れた。神戸出身の16歳・阿部詩(うた)=兵庫・夙川学院高=は、2月に行われた柔道のグランプリ・デュッセルドルフ大会女子52キロ級で、ワールドツアー史上最年少となる優勝を果たした。次代男子エースの呼び声高い66キロ級の阿部一二三(19)=日体大=を兄に持ち、兄譲りの勝負強さを持つ東京五輪期待の星だ。きょうだいで金メダルを目指す天才少女の強さの秘けつと素顔に迫った。
神戸の“名もなき詩”から世界のUTAへと飛躍する-。兄は神港学園高2年だった14年グランドスラム(GS)東京で史上最年少優勝を果たし、昨冬からGS東京、GSパリ、全日本選抜体重別選手権と3連勝。次代のエースと期待される逸材だ。当初は「一二三の妹」として見られるだけの存在だった阿部だが、昨年11月の講道館杯で3位に入り頭角を現すと、シニアの国際大会デビューとなった12月のGS東京でいきなり準優勝。さらに今年2月のグランプリ大会で優勝し、その名は瞬く間に世界に広まった。
持ち味は尊敬する兄譲りの技のキレの良さと、組んだらすぐに投げに行く積極性だ。日本女子の増地克之監督は「何かやってくれそうという、人を引きつけるスター性を感じる。期待も込めて田村(現・谷)亮子選手のようになって欲しい」と“YAWARA2世”のポテンシャルの高さに期待を寄せる。
始まりは父・浩二さんのひらめきだった。病院で産声を上げたばかりの娘の顔を見るなり「この子は詩や!」とその場で命名。「最初は母が“ななみ”っていう名前を考えていたけど、父が『そんなありきたりな名前はあかん』って」(阿部)。その思いをくんだかのように並外れた柔道選手に成長した今は「覚えてもらいやすい」と気に入っている。だが、「“一二三”のほうがインパクトがすごいけど」と付け加えることも忘れなかった。
柔道を始めたのは5歳の時。地元の「兵庫少年こだま会」で、最初は兄に付き添い見学しているだけだった。しかし、練習風景を見ているうちに、生来の活発娘はやらずにはいられない。「すごい楽しそうで『やりた~い』って。最初はお父さんから『女の子やからピアノとかにしとき』『右と左がわからなできひんで』って、めっちゃ止められたんですけど…」。
文字通り右も左もわからない状況で始めた柔道だったが、誰に教わるでもなく、見よう見まねで技を覚えた。兄譲りの豪快な袖釣り込み腰は「小学2年くらいから使ってるけど、気がついたらやっていた」と阿部。内股や大外刈りも他の選手が教えてもらっているのをマネしているうちに、今や世界でも一本を取れる得意技になった。ピアノや水泳も習っていたが、最後まで残ったのは柔道だった。
小学生時代から阿部きょうだいを指導する夙川学院高の松本純一郎監督は「センスは妹の方が上」と評する。ただ、メンタルに課題があった。「兄は練習をずっと頑張れるからムラがないけど、詩は天才肌やからムラがある。気分が乗らなかったらボーッとするし」。それでも56年ぶりに自国開催の東京五輪が決まり、出場が現実味が増したことでモチベーションも高まった。「絶対出たいって大きな目標ができた」(阿部)。高校入学後は練習でも安定感が増し、結果にもつながりだした。
主戦場である女子52キロ級は、女子柔道の先駆者である山口香らが活躍した階級だが、くしくも過去に日本が五輪で唯一金メダルを獲ってない階級でもある。「そうなんですか?えーー!知らなかった。それは自分が獲らないとですね。第1号にならないと」。リオ五輪後、3大会連続出場の中村美里(27)=三井住友海上=が休養し、元世界女王の西田優香(31)も引退しただけに、「次は若手がやってやる」と使命感を燃やす。
今月2日に行われた全日本選抜体重別選手権(福岡)では準決勝で敗退し、今夏の世界選手権(ハンガリー)代表入りを逃した。しかし、この悔しさも2020年に向けた“柔道狂の詩”の序章に過ぎない。
「一番の目標は五輪で優勝。その後の夢?結婚していい家庭を築きたいですね」。
かつて谷亮子は「田村で金、谷でも金、母でも金」と宣言したが、阿部は「すごいと思うけど、自分はそこまでは思えないですね。今のところは」とはにかんだ。間違いなくスターとして将来の女子柔道を背負って立つ存在。まずはこの3年間、あるがままの心で、全力疾走するだけだ。