桐生 日本人初9秒台!ついに10秒の壁突破 大学ラスト最高の100mで悲願達成
「陸上・日本学生対校選手権」(9日、福井県営陸上競技場)
男子100メートル決勝で、リオデジャネイロ五輪400メートルリレー銀メダリストの桐生祥秀(21)=東洋大=が日本人初の9秒台となる9秒98(追い風1・8メートル)をたたき出し、3連覇を達成した。98年のバンコク・アジア大会で伊東浩司(現日本陸連強化委員長)がマークした10秒00の日本記録を19年ぶりに更新した。日本歴代2位の10秒01をマークしてから4年。大学生活最後の100メートルで悲願を成就させた。
日本スプリント界に立ちはだかってきた難攻不落の壁を打ち壊したのは、この4年間、誰よりもこの壁に立ち向かってきた男の矜持(きょうじ)だった。先行する多田を豪快に抜き去り、ゴールを駆け抜けると、桐生は「9・99」の表示に両拳を握った。
一度消え、33秒後に表示された正式タイムは『9・98』。地鳴りのような大歓声を浴び、欽ちゃん走りのような横走りで、報道陣、観客席を指さし、あおり、跳びはねた。まるで歓喜のダンスだった。
呪縛のようにとらわれ、時には口にすることも拒んでいた「9秒台」をあえて狙っていた。大学生活最後の100メートル。8月の世界選手権の400メートルリレーで負った左太もも裏のけがで、ぎりぎりまで出場は迷った。
それでも最後は意地を通した。高校3年生で10秒01を出してから4年。「4年間大学でやってきて、このまま自己ベストを出さずに終わるのは嫌だった。9秒台を出して、優勝して笑顔で終わろうと思った」。準決勝まで慎重だったスタートも、思いっきり爆発させた。反応タイムは多田修平(関学大)に次ぐ0秒139。序盤で食い下がり、得意の後半でぶっちぎった。
4年間、誰よりも9秒台の重圧を背負い走ってきた。2013年4月に日本歴代2位の10秒01を出してから、人生は一変。レースに出ては、たとえ10秒0台の好タイムでもため息が会場を包んだ。「もう期待しないでほしい」。そう漏らしたこともある。
東洋大に進学してからは、土江コーチと練習法でぶつかった。理論派の土江コーチと、感覚派の桐生。課せられた筋力トレーニングの意味を見いだせず、成績も低迷。けがも重なり、反発した。
「タメ口でキレたこともあった」-。
幾度となく涙も流した。6月の日本選手権は4位で、個人での世界選手権代表を逃し、取材エリアの端で壁に突っ伏して泣いた。リレーメンバーとして帯同した世界選手権。200メートルで決勝進出を果たしたサニブラウンらの活躍に「自分はあそこに立っていない。何をやってるんだ」と打ちひしがれた。
誰よりも真摯(しんし)に競技に打ち込む男を周囲は支えた。滋賀県彦根市の実家に戻ると、父康夫さんは陸上のことは一切話さず気を使ってくれた。土江コーチはどんな時でも自分と向き合い、後藤トレーナーは「お前が一番速いんだ」と声をかけ続けてくれた。「自分は記録でしか恩返しできない」。ありったけの感謝を込めた走りで、日本人の“限界”を超えた。
桐生の瞳に涙はなく、周囲はみんな泣いていた。「今まで自分が泣くことが多かったので。自分が笑顔で、周りが泣いてくれている。それが一番うれしかった」。この4年間、おそらく日本中を最もヤキモキさせてきた男が、ついに、ついに、やった!!