高山勝成 東京五輪を諦めない「プロアマの壁」乗り越えメダルを目指す
2020年東京五輪へ向けて各界のキーマンに信条や理念、提言などを聞く。今回は日本選手として初めてボクシング主要4団体を制覇した高山勝成(34)=名古屋産大=に焦点をあてる。今年4月に現役王者のまま日本ボクシングコミッション(JBC)に引退届を提出。元プロはアマチュア選手として登録できない規則の改定を訴えて、活動を続ける反骨のチャンプに迫った。
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-現役王者を返上してまで、なぜアマとして東京五輪を目指す決意をしたのか。
「2011年、ワールドチャレンジ(当時JBC未公認だったIBF、WBO王座を目指し海外挑戦していた時期)でフィリピンに滞在していた時にニュースで五輪ボクシングもプロ解禁になることを知った。漠然と挑戦したい、メダルを獲得したいと思っていた。その後4団体制覇を成し遂げて、プロではすべてやり尽くして未練はない、五輪に挑戦したいと思った」
-アマ側と交渉は。
「今年4月の大学の入学式の前に、日本ボクシング連盟の山根明会長にプロ引退と世界王座の返上、東京五輪に選手として出場してメダルを目指したいと伝えた。山根会長は話を聞いて下さった上で、気持ちはわかるが90年間の歴史でプロとアマは一線を引いてきたからあきらめてほしいとのことだった。次世代の指導者としてアマを育てていくのはどうかとも言って下さった。でも、自分は追える夢なら追いたい。リオデジャネイロ五輪からAIBA(国際ボクシング協会)はプロを解禁したこともあり、諦められなかった」
-ボクシングは、ラウンド数などプロとアマの差が大きい。
「正直、新しい競技に挑戦する感じ。プロ(12ラウンド)はマラソン、アマ(3ラウンド)はスプリントくらいの違いがある」
-リスクは大きい。
「周囲からは予選の1、2回戦で負けたらプロで築き上げてきたものがパーになるぞと言われた。リオ五輪ではエンダム(WBA世界ミドル級王者=今月22日に村田諒太と王座戦)もアムナト(元IBF世界フライ級王者=14年に井岡一翔に勝利)も1、2回戦で負けている。元世界王者が上位入賞やメダルを獲得できる保証はない。その前に世界王者だからといって日本代表になれるわけもない。予選から勝ち上がって代表になるしかない」
-30歳で高校入学。今春は大学に進学した。その中で心境に変化が。
「大学で教員免許を取得して学校の先生になることが目標になった。でも、その前に自国開催の五輪がある。国を背負った最高の選手たちと拳を交えたい。戦いの中で学んだ諦めない気持ちを、これからの子供たちに伝えていきたい」
-今の練習は。
「大学近くで授業の間に2、3時間、ロードワークや筋トレをして、夕方からは付属高・大学のボクシング部で練習している」
-当時未公認のIBF挑戦時にも、一度はJBCに引退届を出して退路を断った。
「日本に残っていれば1、2回は(公認団体で)王座返り咲きのチャンスもあったのに、アホやなと言われていたと思う。自分には力のあるプロモーターもマッチメーカーもいなくて(4団体制覇の)情熱がすべてだった。海外では勝ったり負けたりいろいろあったけど、4年かかって自分がたどり着きたい場所へ行けた。ただ、今回はあと3年しかない。今は手探り状態で3歩進んで2歩下がるという感じ」
-プロが参加するとアマのチャンスが狭まるという懸念もある。
「プロにはプロ、アマにはアマのプライドがある。アマ選手はプロに勝って代表になる、有名になるという心意気があると思う。切磋琢磨(せっさたくま)してアマとプロの間で好循環が起こればいい」
-常に困難な道に挑むのはなぜか。
「プロでの苦い思い、失敗した思いが自分を突き動かしている。人間関係に悩んだり、アウェーでの判定に納得がいかなかったりしたことも。それを全部、もっと頑張らないとという気持ちに変えてきた。また、支えてくれる人たち、高校で一緒に学んで勇気や希望をくれたみんなへの思い、今までの40戦を戦ってくれた選手たちへの思いもある。東京五輪では37歳。戦い続けられるのであれば、その方たちへ感謝の思いを伝えたい」