日馬富士、日本の17年間「最後に世間を騒がせて申し訳ない」【引退会見一問一答2】

引退会見を終え、深々と頭を下げる日馬富士。左は伊勢ヶ浜親方=太宰府天満宮境内(撮影・田中太一)
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 平幕貴ノ岩への暴行問題を起こした横綱日馬富士が29日、日本相撲協会に引退届を提出、同協会はこれを受理した。日馬富士はこの日午後、福岡県太宰府市内で師匠の伊勢ケ浜親方と会見を開き、冒頭で「この度横綱としての責任を感じ、本日引退します」などと話し、頭を深々と下げ続けた。

 会見での質疑応答(2)は次の通り。

 -16歳で日本。相撲界はどんな世界。

 「私は相撲、愛してます。大好きです。そして相撲道というのは、強いだけでなく人として、そして相撲を通じて国民の皆さんに感動と勇気、そして相撲を通じて何か社会にできることが強く見えてくると、親方、おかみさんからも学びながら、相撲を通じて何年か、自分にできることを考えやってきました。そういう意味では私にとって相撲は丸い土俵の中で、ただ戦って強いだけでなく、相撲を通じて人々に感動、勇気、そして希望を与えることが相撲なのかなと思います」

 -17年間の思い出は。

 「相手がいての相撲。今まで戦ってきたライバル、相手たちに感謝し、そして相撲を通じて縁があって戦った(相手の)支えのもと、親方の教えのもとで、おかみさんに支えていただいて今まで来たので、すばらしい17年間でした」

 -5年前の九州で横綱昇進。横綱とは。

 「(横綱に)上がった時にも言っちゃいましたが、『横綱としてみんなの見本と認められる、横綱の名前に傷が付かないように精進して一生懸命頑張ります』と言いました。一生懸命横綱として土俵の上に上がり、そして、お客さんに楽しんでいただける、喜んでいただける相撲だけを考えて横綱としての責任を果たしました」

 -どの相撲が一番思い出に残っている。

 「たくさんの思い出があります。この場を通じて一緒に戦ってきた力士の仲間たちに『ホントに申し訳ない』と伝えたいです。そして思い出に残っているたくさんの相撲の中で、初土俵で序ノ口で優勝したことが、その気持ちを忘れずに今まで頑張ってきました」

 -師匠、入門時90キロに満たない少年を横綱に育てて、その土俵人生は。

 伊勢ケ浜親方「軽量で、稽古でどこが痛いとか痛めても弱音を吐かず、ずっと頑張り続けて今日まできて、その相撲を見ているだけで皆さんに喜んでもらえたんじゃないかなと思います」

 -横綱、先ほどの師匠の涙をどう受け止めた。

 (日馬富士も涙目に)

 「今から10年前に父を事故で亡くして、僕のお父さんであり、師匠であり、僕の憧れの師匠でもあり、いつも親方、おかみさんに恩返ししたいな。おかみさんに喜んでいただきたいな、親方に評価していただきたいなという気持ちが、ホントに、いい息子でいたいなという気持ちが強かったです。17年間で積み立ててきた僕の生き方が、最後にこんなに世間を騒がしたことに、ホントに親方に申し訳ないという気持ちです。これからも自分なりに恩返しして、相撲の名が傷つかないよう、ちゃんとした生き方をして、恩返ししていきたいな、と思います」

 -今回の事がなければ、もし引退後も協会に残って大相撲を支えていこうという考えはありましたか。

 「相撲があっての私なので、相撲道に恩返ししていきたいな、という思いはありました」

 -今後、どのような人生を歩む。

 「親方、おかみさんのもとで相撲道を17年間学んだことを生かして、ひと様に迷惑をかけないように、ちゃんとした計画をして頑張っていくつもりでいます」(少し笑顔になる)

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