レスリング渡利璃穏、悪性リンパ腫から涙の復活V「やってきたこと信じた」
「レスリング・全日本選抜選手権」(16日、駒沢体育館)
女子68キロ級決勝が行われ、悪性リンパ腫の闘病を経て2年ぶりにマットに復帰した渡利璃穏(りお、26)=アイシンAW=が、関千晶(警視庁第六機動隊)に3-2で勝利し、優勝した。全日本選手権覇者の土性沙羅(東新住建)が負傷で棄権したため、渡利が世界選手権(10月、ブダペスト)代表に決まった。
大病にもくじけない不屈の精神をマット上でも見せつけた。試合時間残り24秒で相手にリードを許していた渡利は、猛烈なタックルで相手を場外に押し出し、残り8秒で逆転。そのまま守り切り、両手を天に突き上げた。「本当にうれしい。これまでやってきたことを信じて、絶対に勝つという気持ちだった」。涙を浮かべながら復活の喜びをかみしめた。
リオデジャネイロ五輪後の16年9月に行った細胞検査の結果、悪性リンパ腫の1種である「ホジキンリンパ腫」が判明した。以降は競技を休養し、抗がん剤や放射線による治療に専念。昨夏に治療を終え、現在は経過観察に入っており、5年間再発しなければ「ほぼ完治」となるという。
昨年9月からリハビリを開始し、1月からレスリングの練習を再開した。コンディションは「五輪前が100%なら、練習も最後まで全力ではついていけていないので50%くらい」。復帰戦となった準決勝は7-0で快勝したものの、「緊張を通り越して全身が震えた」という。
闘病期間中は2週間に1度の抗がん剤治療による副作用で全身に痛みが走り、吐き気に襲われるなど苦しんだ。「闘病している皆さんの気持ちが分かった。当たり前にレスリングができて(以前は練習が)嫌だなと思っていたのが情けない。今は毎日楽しんでできている」。闘病を乗り越えて、さらに強くなった精神力をのぞかせた。
リオ五輪では初戦敗退に終わっただけに、10月のの世界選手権は東京五輪で雪辱を果たすための第一歩となる。「まだ五輪ではないのでリオの悔しさは晴らせないが、68キロ級でどこまでできるか。五輪につながるいいステップになる」と再び闘志に火をつけた。
◆渡利璃穏(わたり・りお) 1991年9月19日、島根県松江市出身。小学1年時に松江レスリングクラブで競技を始めた。至学館高、至学館大を経て、アイシンAWに所属。63キロ級で2013年全日本選手権を初制覇し、14年アジア大会で金メダル獲得。リオ五輪出場権を得るため、1日5食の食事やウエートトレーニングで10キロ近く増量し、63キロ級から75キロ級に挑戦。15年全日本選手権は75キロ級で優勝し、リオ五輪アジア予選を制して代表入りした。五輪では初戦の2回戦で敗退した。家族は両親と姉。163センチ。