服部勇馬、日本勢大会14年ぶりV 五輪代表選考会MGC切符ゲット
「福岡国際マラソン」(2日、平和台陸上競技場発着)
来年9月の東京五輪代表選考会「グランドチャンピオンシップ=MGC」と、19年世界選手権(カタール・ドーハ)の代表選考を兼ねて行われ、4度目のマラソン挑戦となった服部勇馬(25)=トヨタ自動車=が、38キロ付近からのスパートで抜けだし、日本歴代8位となる2時間7分27秒の好記録で初優勝した。日本勢の優勝は04年大会の尾方剛以来14年ぶりで、MGCの出場権を獲得した。
高らかな“いななき”が、復活の機運が高まる日本男子マラソンに新星の誕生を告げた。目標としていた2時間7分30秒を突破し、満面の笑みでゴールテープを切った服部は両拳を突き上げると、帽子を放り投げ、再び右拳を振り上げながら雄たけびを上げた。
「すごくうれしくて。練習でやってきた成果を出せた」
苦しめられてきた“壁”をぶち破った。前日本記録保持者の設楽悠太(ホンダ)の2学年下で入学した東洋大時代から、将来的なマラソンでの飛躍を期待され続けてきた。同大学の酒井俊幸監督は「本当はリオ五輪に出したかった」と振り返る。大学4年時に出場し、初マラソンとなった16年東京では、35キロで一度日本人トップに立つレースを見せたが、急失速し12位。そこからは“35キロの壁”にぶち当たり、失速するレースが続いていた。
転機となったのは、今年7月の日本陸連主催の米ボルダーでの高地合宿。後にアジア大会で金メダルを獲得した井上大仁(MHPS)の練習量、質に、自分の甘さを痛感した。
練習メニューを見直し、40キロ以上の距離走は2、3回だったのを、40キロ7回、45キロ1回の計8回に。月間の練習距離は300キロ以上増え、1000キロを超えた。
手法も見直した。ジョギングでも、スピードを上げる練習でも、普段のレース時と同じフォームで走ることを意識。フォームが崩れるほどスピードを上げないことで、崩れない“型”を体に染みこませた。
36キロで外国人2人との争いになった時、一度、スパートをちゅうちょした。「ビビっていた。怖かった。また失速するんじゃないかと」。それでも最後は覚悟を決めて前に出た。取り組みは実を結び、これまで立ちはだかってきた“壁”を突破した。
「もっと勝負強さを身に付けていきたい」。両親が優しい馬の目が好きだったことから、兄弟の名には全員「馬」がついている。日本記録が2度塗り替えられ、アジア大会金メダリストも誕生した日本男子マラソン復活の一年の最後に現れた新星。現在の勢力図を一気に差し切るだけの“末脚”を秘めている。