【歴代担当記者が振り返る稀勢の里(下)】ひたむきに守り続けた師匠の教え
惜しまれながら土俵に別れを告げた元横綱稀勢の里の荒磯親方。その実直な人柄、素顔を歴代担当記者が語る連載企画を3回にわたってお届けする。今回は最終回。
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ある年の名古屋場所前に朝稽古を訪れた時だったと記憶している。厳しい指導で知られる当時の師匠・鳴戸親方(元横綱隆の里)が厳しい目を光らせていた。記者が力士に話を聞けるのは親方が宿舎に戻ってからになる。
わずかな時間に「体調はどうですか」といった質問をぶつける。稀勢の里も可能な限り答えようとしてくれていたように思う。その時、宿舎の方から「おい!」と師匠の力士を呼ぶ声が響いた。これではもう取材どころではない。
「時間切れだ…」と肩を落とす私に、稀勢の里は同情したように「ハハハ」と笑ってから「まあ、また」と慰め、師匠の元へ向かった。無口で堅物というイメージとは正反対の優しい顔だった。
中学時代の恩師にうかがうと、クラスの催しでテレビ番組のパロディーでタレントの物まねをして笑いを取ることもあったという。周囲に期待をされれば応えようとする。師匠の思いであれ、記者の取材であれ、クラスメートであれ、それに沿おうとするのが稀勢の里という人なのだなと取材をしていくにつれて感じた。
私が大相撲担当から離れた11年九州場所で稀勢の里は大関に昇進した。この時、場所前に急逝した先代師匠を思い、「真面目に一生懸命やることを師匠から教わってきた」と感謝していた。あれから7年と少し。引退会見でも17年間の相撲人生で誇れるものとして「一生懸命相撲を取ってきたことが、ただそれだけです」と同じ言葉を発した。師匠の教えをひたむきに守り続けていたのだなと気づかされた。
休場が続くと、横綱の地位を汚す、だとか、往生際が悪いだとかそんな批判も受けた。それでも「ファンのため、そして応援してくれる方のために、相撲は続けようという、そういう判断がありましてやってきました」と、師匠が願った力士像、ファンが期待した強い横綱という思い、願いを形にしようともがいていた。本当に立派な横綱だった。(08年~11年デイリースポーツ・大相撲担当、広川継)