【私の五輪志・谷亮子さん(4)】東京五輪では柔道が他競技を元気づけてほしい

 2020年東京五輪へ向けての新企画「東京へ駆ける」。今回は各界のキーマンに聞く「私の五輪志」をお届けする。柔道女子48キロ級五輪2大会金メダリストで「ヤワラちゃん」として国民的ヒロインとなった谷亮子さん(43)が、日本開催の五輪で、日本発祥の競技の活躍を期待するとともに、後進育成という将来の夢も語った。今回の(4)が最終回。

  ◇   ◇

 -現役で一番つらかったのは。

 「ケガですね。いくつも大きなケガをしました。決勝戦の最後に(左手)小指を痛めた福岡国際の10連覇もつらかったし、世界選手権の5連覇がかかった時も。当時の世界選手権は2年に一度で五輪より出場人数が多く、7、8回勝たないと優勝できなかった。史上初の5連覇がかかる大会(2001年)でしたが、大会前に(右膝の)内側側副靱帯を損傷していました」

 -試合ができる状態ではなかった。

 「周りは反対して練習もできてなかったけど、自分の中でケガを理由に出場をあきらめたら悔いが残ると思って出場しました。1回戦で痛み止め(注射)を打つと言われたけど、先に打つとまひして決勝までもたないと思って打たなかった。ある程度感覚を残しておきたくて。でもやはり痛めてしまいました。あまり長時間だと反則負けになるのですが、5分くらいうずくまってしまいました。たまたまタイミングが合って勝つことができ、準決勝からは痛み止めを打って臨みました。今思うとよくやったなと。ケガを乗り越えて優勝したのは大変だったけど大きく成長できたと思います」

 -柔道は日本にとって精神性が問われる特別な競技だ。

 「嘉納治五郎先生が(日本初のIOC委員として)日本が五輪に参加する道を作ってくださった。嘉納先生が志してきた柔道は『柔よく剛を制す』、『精力善用 自他共栄』。その言葉を基本にして世界中の柔道家が柔(やわら)の道を志している。これは非常に大きいことです」

 -五輪でも柔道のメダルで勢いがつく。

 「(2020年東京は)日本で行われる五輪です。日本で始まった柔道が、他競技を元気づけてほしいと思います。金メダルが期待されることは大変だと思うけど、日本代表になったみなさんには、自分はそういう位置にいるんだと思ってやってほしい。(重圧を)感じてしまう選手もいると思うけど、それをはねのけるのは、稽古によって裏付けられた自信しかない。モチベーションの持ち方は選手それぞれ。自分の美学で克服していってほしいですね」

 -指導者への道は。

 「いろいろなお話をいただいているのですが、まだ子育てがあって家を1カ月とかはあけられないので。引き受けるなら海外遠征にも行かないと」

 -第2のヤワラを育てたい。

 「それはあります。私が経験してきたことが大きな力になるのならば、そうなっていきたい。主人(谷佳知氏)ともいろいろなトレーニング方法を一緒にやってきました。アスリートに必要とされればいつでも、と思っています」=おわり=

 ◆谷 亮子(たに・りょうこ)1975年9月6日、福岡市出身。旧姓・田村。小学校2年生の時に兄の影響で柔道を始め、福岡・城香中3年時に大会最年少の15歳で福岡国際女子選手権を制した。福岡工大付高(現福岡工大城東高)から帝京大、日体大大学院へ進学。10年までトヨタ自動車に所属。五輪は女子48キロ級で、92年バルセロナ銀、96年アトランタ銀、2000年シドニー金、04年アテネ金、08年北京銅。世界選手権は6連覇を含めて7度制した。03年にプロ野球選手の谷佳知氏と結婚し、現在2男の母。元参院議員。身長146センチ。

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