【私の五輪志・谷亮子さん(3)】「できるところからやってみたら」-夫の応援がモチベーションに

 2020年東京五輪へ向けての新企画「東京へ駆ける」。今回は各界のキーマンに聞く「私の五輪志」をお届けする。柔道女子48キロ級五輪2大会金メダリストで「ヤワラちゃん」として国民的ヒロインとなった谷亮子さん(43)は、プロ野球選手だった谷佳知氏と結婚。アスリート夫婦の絆を語った。今回は(3)。

  ◇  ◇

 -結婚、出産を経験した女性アスリートのパイオニアとなった。

 「私が現役時代は、まだ強い先輩たちが結婚を機に引退されていた。当時は競技を続ける選手がまったくいなかった。私も結婚-引退と思われていたようでした」

 -出産後は体も変化する。

 「出産して続けるのは本当に驚かれました。実際、ホルモン(状態)が変わるなど大変は大変です」

 -産後どれくらいでトレーニングを?

 「産後1日くらいで骨盤を戻す運動をしていました。出産前から現役復帰に向けてトレーニングをしていて、出産の月もできることを少しやっていた。ただ、教科書がないので体と相談しながらです。なんとなく気をつけていたのは3、5カ月などの奇数月。不思議ですが、体に変化を感じていました」

 -その後も第一線で。

 「(育児の)環境がなく、合宿に子供を連れて行くのも認められていない。母に付いてきてもらって別のホテルで練習の合間や夜中に母乳をあげに行きました。それまで競技生活と(育児は)関係ないと見られがちだったけど、そうじゃないのにと思っていました。私自身が結果を出さないと、サポートが必要なんだと伝わらない。フランスや米国にはママアスリートがいたけど、諸外国に比べて日本はすごく遅れていた。女性の場合だけ引退を強いられる。ここで成果を出して発信の場になればと思っていました」

 -2007年には世界選手権で優勝した。

 「『ママでも金』を獲った時は言葉に言い表せないくらいの達成感がありました」

 -アスリート夫婦だからこそ。

 「主人の応援が私を後押ししてくれました。プロ野球の厳しい世界で活躍していくのは本当に大変。それを毎日見ていて、主人も私をずっと見てきている。お互い励まし合える存在です。結婚しても、現役時代はなかなか会う機会がなかった。私は合宿も多く、電話連絡はしても、主人の活躍はニュースで知るんです。頑張ってるなって」

 -申し訳なさも感じていたのか。

 「本当は家のことももっとしたいと思っていたけど主人の一言が大きかった。『できるところまでやってみたらいい。まだまだできるよ』と。それが、結果を出さないといけないというモチベーションになりました」

 -もし夫が反対していたら。

 「結婚したら家庭に入るというのをずっと見てきたので、そうしなきゃいけないと思っていました。もし『家庭に入って自分をサポートしてくれ』と言われていたらそうしていたでしょう。それが当たり前だった。プロ野球選手の奥さまは本当に尊敬します。30品目も摂るような料理は私はできない。でも、数品だったけど頑張ってくれました」

 -アテネ五輪では佳知さんが必死に応援する姿がテレビに映し出された。

 「本当に一生懸命に応援してくれて。私も初めて主人のああいう姿を見ました。普段あまり言葉数が多くないので」

 -オリックス時代には、仰木監督がキューピッドのようだった。

 「仰木監督は宮古島(キャンプ)もお招きいただいたり、サプライズで盛りあげてくださったので。谷も仰木さんを尊敬していて、仰木さんも谷をかわいがってくださった。本当にたくさんの思い出があります」

 -2人の息子は。

 「アイスホッケーと野球も少しやり出してます。今はやりたいと言うことをやらせてみようと思って。(アイスホッケーは)格闘技のようで、いけいけ~と応援しています」

 ◆谷 亮子(たに・りょうこ)1975年9月6日、福岡市出身。旧姓・田村。小学校2年生の時に兄の影響で柔道を始め、福岡・城香中3年時に大会最年少の15歳で福岡国際女子選手権を制した。福岡工大付高(現福岡工大城東高)から帝京大、日体大大学院へ進学。10年までトヨタ自動車に所属。五輪は女子48キロ級で、92年バルセロナ銀、96年アトランタ銀、2000年シドニー金、04年アテネ金、08年北京銅。世界選手権は6連覇を含めて7度制した。03年にプロ野球選手の谷佳知氏と結婚し、現在2男の母。元参院議員。身長146センチ。

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