元横綱・双羽黒、北尾光司さん逝った…55歳 角界と格闘界“お騒がせ男”早すぎる死
大相撲の第60代横綱双羽黒で、プロレスラー、総合格闘家としても活躍した北尾光司さんが2月10日午前7時30分、慢性腎不全のため千葉県内の病院で死去していたことが29日、分かった。妻の淑恵さんが明らかにした。55歳。故人の生前の希望で2月13日に通夜、同14日に告別式が家族葬で執り行われた。2013年から闘病生活を送っていた。
角界、プロレス界に数多くの伝説を残した男が、波瀾(はらん)万丈の人生に別れを告げた。
北尾さんは立浪部屋に入門し、15歳の1979年春場所で「北尾」のしこ名で初土俵を踏んだ。北勝海、小錦、寺尾らと同じ昭和38(1963)年生まれで「花のサンパチ組」と呼ばれ、日本人離れした199センチの長身と抜群の相撲センスで番付を駆け上がった。
84年秋場所で新入幕、85年九州場所後に大関に昇進。86年夏場所で巨漢の小錦を大技、さば折りでねじ伏せた一番は、今も語り草となっている。同年名古屋場所後に優勝経験がないまま、昭和以降では史上4位のスピード記録(当時)となる22歳11カ月で横綱に昇進。しこ名を「双羽黒」に改名したが、昇進後は故障や不振に苦しんだ。87年12月下旬に立浪親方(元関脇羽黒山)と対立して失踪騒動を起こし、同年大みそかに電撃引退。優勝回数ゼロのまま、24歳の若さで角界を去った。横綱在位8場所は昭和以降2番目の短さ。
スポーツ冒険家として活動した後、プロレスラーに転向。だがまたもトラブルを重ねた。
90年2月10日の新日本プロレス東京ドーム大会でクラッシャー・バンバン・ビガロを相手にデビュー戦勝利も、暴言がもとで約5カ月で新日本プロレスから契約を解除された。続いて参戦したSWSでは、91年4月のジョン・テンタ戦で反則負けとなった後に「八百長野郎」などと問題発言。再び解雇された。
その後は総合格闘家に転向し、PRIDE、UFCなどに参戦。98年5月に引退を表明し、2003年には立浪部屋のアドバイザーに就任し、16年ぶりに角界に復帰した。
余りある才能と破天荒な振る舞い、言動。批判にさらされながらも常にファンを引きつけた希有(けう)な存在が、静かに、55年にわたった生涯の幕を閉じた。