バレーボール・栗原恵が引退会見「やり切った」晴れやかに報告
バレーボール女子で04年アテネ五輪、08年北京五輪代表の栗原恵(34)が10日、都内で引退会見を行った。「本当にやり切ったなと晴れやかな気持ちなので(気持ちが)揺れ動くことなく、さわやかに今朝も迎えることができた」と、25年間の競技生活に笑顔で別れを告げた。
栗原は5月の黒鷲旗全日本選抜を最後に、所属していたJTを退団。今月4日に自身のインスタグラムで現役を引退することを発表していた。
栗原自身は昨季まで所属していた日立を退団し、JTに入団した時から引退を覚悟していたという。「やり残したことはないかなと思って、この1年をやり切ろうと意思は固まっていた」。ただ、日本代表で共にプレーしたこともあるJTの吉原知子監督から慰留を受けていたため、黒鷲旗を終えての報告となったという。
引退を決めた心境について「ここ数年、私は趣味がバレーボールなんじゃないかと思う機会が多くなった。そこまで思えたのは、コートに置いてきたものがもうないからではないかと思って」と明かし、「(まだ)周りから一緒にプレーしたいと言ってもらえて、自分でピリオドを打てる選手であることが幸せだと思い、やめることを決めました」と説明。「ケガが多い選手だったが、たくさんの方に今もなお『もう少しコートに立つ姿を見たい』と言ってもらえて励みになったし、ファンの方の存在自体が大きな原動力だった」と感謝の気持ちを述べた。
栗原は広島県江田島市出身で、小学4年生からバレーボールを始めた。三田尻女子高(現誠英高)1年時には高校3冠を達成。187センチの長身を生かした鋭いスパイクを武器に01年に日本代表に選出され、02年の日米対抗で代表デビュー。華やかなプレーとキュートな容姿から“プリンセス・メグ”の愛称がつき、同い年で代表に選ばれていた“パワフル・カナ”こと大山加奈との「メグカナ」コンビで人気となった。
04年にはアテネ五輪に出場し、5位入賞。08年北京五輪でもエースとして、5位入賞をけん引した。09年には左ひざ半月板断裂の大けがを負ったが、手術を経て10年世界選手権では銅メダル獲得に貢献。所属チームは03年にVリーグのNECに入団して以降、パイオニア、ディナモ・カザン(ロシア)、岡山、日立を経て、昨年からはJTだった。
今後はLDH所属となるが、活動内容は未定。ビーチバレーや指導者への転身は「今はない」と否定した上で、「自分に何ができるのか勉強させてもらいながら、バレーボール界やスポーツ界に恩返しできれば幸せです」と話した。