野中生萌 華ある登りで頂へ「最高の景色をみたいな」美しく力強く…
東京五輪まで、24日でいよいよあと1年。2016年8月に追加種目として初採用されたサーフィン、スポーツクライミング、空手、スケートボードの4競技の選手たちは初の夢舞台に胸を弾ませている。デイリースポーツでは1年後に迫った祭典を目指す女子アスリートにインタビューを敢行。スポーツクライミングの野中生萌(みほう、22)=XFLAG=は、美しくパワフルな登りで金メダルの期待も懸かる。ヒロインの思いに迫った。
18年に悲願のボルダリングW杯総合優勝を果たし、名実ともに世界のトップクライマーとなった野中生萌。メダル候補としても注目を集める中、1年後に迫った五輪への思いを聞くと本音が漏れた。
「今は不安ですね」
今年3月に左肩を負傷。一時は腕を動かせなくなった。5月には五輪と同じ3種目の複合で争われたジャパンカップで優勝するなど、順調な歩みを進んでいるかのように見えるが、胸にはザラつくような焦燥感がある。
「ちょっと出遅れたというのが正直あります。超スピードで頑張ったなとは、自分でも思います。ただ、やっぱり完成度としてはまだ低い部分はある」
だから、1年後の自分へのメッセージには、今の心のモヤモヤを振り払うようにこんな言葉をしたためた。
『大丈夫。全力で行け!』-。
3年前の16年8月4日。リオデジャネイロで行われたIOC総会で、スポーツクライミングの五輪採用が決まった。当時19歳。周囲の盛り上がりの中で、突如目の前に現れた“五輪”というものに戸惑いはあったという。
「私自身、それまで結果よりも自分のクライミングをしたいという思いで臨んでいた。あまり結果にこだわるトライをしていなかった。五輪というのが出てきた時に、“そんなんいいよ”みたいな感じでした。正直」
数年先の金メダルを期待する声は、当時の野中にとっては違和感でしかなかった。それでも、その日を境に、クライミングを取り巻く環境は急速に変わっていった。
「クライミングの注目度も変わりましたし、自分に期待してくれている人がたくさんいることをすごく感じた。プロクライマーとして、上を目指していくと決めた以上、その人たちに何で返せるかといったら、やっぱり結果を残すことなので」
クライミングジムはこの3年で100軒以上増え、全国で500軒を超えた。クライミング人口は約60万人。野中のインスタグラムのフォロワーも10万人を超える。競技が認知され、仲間が増え、愛されていく。そんな変化に身を置く中で、トップ選手としての責任、自覚が生まれた。
「会話で『クライミングやっている』っていうと、『あ~あれね!』っていうのがすぐ伝わるようになったのが一番大きな違いかな。今は逆に五輪があるから、これだけ頑張れている。もっと強くなれるんだったら、それを利用しちゃおうじゃないけど、結構ポジティブに考えてます」
野中のクライミングには“華”がある。男子選手のような豪快なムーブと、幼少期に習っていたバレエや体操で培ったしなやかな動きで、次々と難しい課題をクリアしていく。
「登りがきれいな選手はすごく憧れますし、そういうクライミングをしたいなと思ってます。雑な動きをすると、無駄な動きになる。それが結局体力を削って、省エネな登りではなくなるので」
競技面だけではなく、1人のアスリート、女性として、“魅せる”ことへのこだわりは強い。以前から「アスリートは黒髪でノーメークでアクセサリーもしないっていうイメージを壊したい。自分がきっかけとなって変えていけたら」と、話してきた。毎試合のようにヘアカラーを変え、普段からネイルやアクセサリーにもこだわる。右の耳には、お気に入りのハチのピアスが潜んでいる。
「クライミングのかっこよさをプッシュしていきたいっていう気持ちは変わらずあります。それを期待して楽しみにしてくれる人もいたりするので(笑)。『次は何?』って。地味なものを見てるよりはいいかなって。(ハチのピアスは)五輪でもつけて出てるんじゃないかな」
1年後、地元東京にやってくる世界が見守る舞台。「できるだけ高いところから、最高の景色を見たいな」。期待も重圧も背負い、美しく、力強く、黄金色の頂へトライする。