野口啓代 銀で五輪切符つかみ取った!「本当に夢みたい」東京で有終飾る
「スポーツクライミング・世界選手権」(20日、エスフォルタアリーナ八王子)
東京五輪と同形式の3種目による女子複合の決勝が行われ、来年の東京五輪での引退を表明している野口啓代(30)=TEAM au=が銀メダルを獲得。日本協会の選考基準を満たし、20年東京五輪代表に決まった。昨年大会から始まったこの種目で日本勢初の表彰台。東京五輪で初採用される競技の中では日本勢第1号の代表となった。女王ヤンヤ・ガルンブレト(スロベニア)が連覇を達成。5位に入った野中生萌(22)=XFLAG=を含めた上位7人(1カ国・地域2人まで)が五輪出場の前提となる「参加資格」を獲得した。
誰よりもこの大会に懸けていた。だからこそ、その1手1手、1足1足は今までにない力を帯びた。全身全霊の登りで、五輪切符をつかみ取った野口の瞳に涙がにじんだ。「もう本当に夢みたいで信じられない。五輪を決められなかったら引退しようと思っていたので」。退路を断ち、挑んだ壁の向こうに、夢の舞台はあった。
勝負カラーの赤のリボンで束ねたポニーテールが揺れた。スピードこそ7位だったが、得意のボルダリングで“ゾーン”に入った。「不安しかなかったのが、急にすごく集中できた」。難関の第1課題を“一撃”で仕留め、ただ一人2完登し、女王ガルンブレトを抑え1位に。リードでは最後のホールドをつかめていれば金メダルだったが「あそこまで行けたのが奇跡。登る力は残ってなかった」。最後の一滴まで力を振り絞った。
来年の東京五輪を集大成の場所にする。16年8月にクライミングが正式競技に採用された時、自らのゴールを設定した。当時27歳。ボルダリングW杯総合優勝を4度経験し、引き際を考えていた時期だった。運命だと思った。「長くやってると引退のタイミングは難しい。自分はラッキーだった。最後が決まっていると練習も頑張れるので」-。
16歳から出場してきた世界選手権も、これが最後。当時はスポーツとしての認知度も低く、本場欧州でも報道陣も観客もまばらだった。14年の時を経たこの日、日本で、観客がたくさん入った会場で、最高の登りを披露できた。クライミング界をけん引してきた者として、これ以上の喜びはなかった。
1年後、集大成の舞台に立つ。この日よりもきっと多くの歓声に包まれて。「ずっと銀メダルなので、あと1年で金メダルを目指したい」。最後に立ちはだかる夢の壁。登った先に人生最高の景色がある。