高山勝成が歩んだ“逆走人生”東京五輪の夢が途絶えて引退決断も「肩の荷が下りた」
プロボクシングの元ミニマム級4団体制覇王者で、アマチュアとして来年の東京五輪を目指していた高山勝成(36)=名古屋産大=が、全日本選手権東海地区選考会(31日)で敗戦。五輪への道が途絶えたことで現役引退を表明した。五輪代表入りは全日本選手権(11月、鹿児島)で優勝することが前提だった。
試合から一夜明けた高山は「ぐっすり眠れた。肩の荷が下りた感じ」と明るい笑顔を見せた。もちろん悔しさはある。それでも、すべてを出し切った充実感が垣間見えた。
村田諒太、井上尚弥らアマからプロへ進んで世界王者になったボクサーは現役でも多い。しかし、プロからアマへ、しかもアマ経験がない世界王者が五輪出場を目指したのは高山が初めてだ。
日本初の4団体制覇王者への挑戦も、日本がIBF、WBOの2団体を公認していなかった時代に始まった。日本ボクシングコミッション(JBC)の傘下を離れて海外進出した後に、日本でも4団体が認められ、高山は国内に戻ってきた。
以前言っていた。「僕はいつも逆に行っているんですよね。プロからアマもそうだし、30歳で高校へ入ったことも」。そんな“逆走人生”は、常識や世間体、損得勘定などにとらわれない人となりを象徴している。
14歳でボクシングを始め、高校進学はせずに17歳でプロ入り。21歳で世界王者になった。高校に入ったのは30歳。20代前半で戴冠と王座陥落を2度経験し「世界王者として見る光景は輝かしい景色だった。でも、取材を受けたり人と会う中で、大人としての最低限の受け答えや対応力が足りないことに気づいた」ことがきっかけだった。
高校に入学して最初の2、3週間は、クラスメートから好奇の目で見られた。しかも授業はわからないことだらけ。ついていくために自分から席の近い生徒に「教えて」と聞くようになった。すると、そのうちに「高山さん、ノート見てください」と言ってくれる生徒が増えた。「勉強はものすごい難しかったけど、大変だった化学の元素記号や数学など、クラスメートや先生が放課後を使って教えてくださった」。世界戦には、制服姿のクラスメートが応援にかけつけた。
「15歳で嫌々高校に行っていたら、たぶん中退していたか、勉強が頭に入らないまま卒業していたか。30歳で学びたい気持ちが起きて、おっさんが教室に乗り込んだ。30歳で嫌いなものを大好きになったのは発見だった」。大学に進学したのも「ひと回り以上も年の違うクラスメートとのかけがえのない時間だった」という高校時代があったからだ。
今後は在籍する名古屋産大現代ビジネス学部の3回生として学生生活を送り、高校の社会科の教員を目指す。ボクサーとしてはメキシコ、フィリピン、南アフリカを歴戦し、南米以外の大陸すべてに渡航した。オリンピアンになれなかったが、いばらの道を歩んだ経験もまた教壇で生きるはずだ。
五輪挑戦を決めた時、「そこから見える景色を見てみたい」と高山は言った。教員として新たな夢が見つかれば、臆せずまた“逆走”するだろう。そこから見える景色はどんなだろうか。