元関脇逆鉾、死去 早すぎる58歳…“井筒3兄弟”もろ差し名人として人気
大相撲の元関脇逆鉾でもろ差しの名人として知られた井筒親方(本名福薗好昭=ふくぞの・よしあき)が死去したことが16日、関係者への取材で分かった。58歳だった。最近は膵臓(すいぞう)を患っており、8月からは東京都内の病院に入院。日本相撲協会の巡業部副部長などを務めていたが、秋場所は初日から休場していた。
16日に58歳の若さで急逝した大相撲の井筒親方(元関脇逆鉾)は華のある人気力士だった。色白のきれいな体は張りがあり、父で師匠の元関脇鶴ケ嶺譲りのもろ差しは芸術品。長兄は元十両鶴嶺山、末弟は元関脇寺尾(現錣山親方)の「井筒3兄弟」という話題性にも富んだ。
全盛期の横綱千代の富士を再三苦しめたもろ差しは自然と会得したという。根は左四つなのに「左はいつでも入るから、まずは右差しを狙った。右さえ入れば二本入る」と話していた。体重が120キロを超えても土俵で軽々とバック転をこなしたように、天性の運動神経と天才的な相撲センスに恵まれていた。
身長は180センチそこそこながら頭をつける相撲は絶対に取らず、これが大関昇進を阻んだとされた。ただ本人は軽量ながら左四つがっぷりで相手を投げ飛ばした横綱初代若乃花への憧れから、大きな取り口を志向。「関脇で終わっても何の悔いもなかった」と言った。
現役引退後は井筒部屋を継ぎ、モンゴル出身の鶴竜を横綱にまで育て上げた。7月の名古屋場所でまな弟子の復活優勝を見届けたのが、最後の雄姿となった。