元ラグビーW杯日本代表・伊藤鐘史氏インタビュー 京産大ラグビー部新監督就任

 ラグビーの2015年W杯イングランド大会日本代表の伊藤鐘史氏(39)が1月に、2シーズン務めた京産大のFWコーチから監督に就任した。47年間指導した大西健前監督(69)からバトンを引き継ぎ、関西大学Aリーグで4回の優勝を誇る強豪校のかじを取る。昨年のW杯日本大会でデイリースポーツ評論「SHOJIが斬る」が好評を博した同氏に、母校の監督に就任した心境や指導への考え、自身のラグビー人生などについて聞いた。

  ◇  ◇

 -監督に就任した心境は。

 「重責だと感じます。いずれは監督になりたい、と思って臨んでいたし、いよいよ始まるな、という部分もあります」

 -いつごろから指導者への思いはあったのか。

 「出場したW杯(15年イングランド大会)が終わったぐらいですかね。30歳を超えてから、徐々にセカンドキャリアをどうするんだ?と自問自答が始まりました」

 -周囲への相談は。

 「この2年間、そのときの職務をまっとうしながらも『自分が監督だったらどうするか?』という問いはしていました。まだまだ甘いとは思いますが、話をもらったときは即決でした」

 -FWコーチとして、チームはどのように映っていたか。

 「京産大ラグビー部には『いついかなる場合もチャンピオンシップを目指す集団であること』『何事にも学生らしく一生懸命ひたむきに取り組むこと』という2つの理念があります。大西先生が実践されてきたので、学生たちもマインドは持っていました。日々取り組む姿勢とか」

 -47年指導した大西前監督について。

 「すごいですよね。まだ私、47年生きていないんで。何もなかったチームを伝統校にされたと思うんですね。歴史は浅くとも伝統校になれるという思いの下、実際に有言実行されたわけで。偉大だな、というのは間違いないですね」

 -就任にあたり直接言われたことは。

 「『2つの理念は貫いてほしい』と。理念を体現するために、大西先生の場合はスクラム、モールという部分にこだわられましたけど、『そこはこだわる必要はないんだよ』と言われました。『おまえらしさを出して自由にやりなさい』ということでしたね」

 -スタッフとして元木由記雄ヘッドコーチ(48)がGMに、広瀬佳司氏(46)がバックスコーチに就任する。

 「日本代表の先輩でもあります。元木さんは神戸製鋼の先輩でもあるし、広瀬さんは京産大の先輩でもあります。私一人でこういう伝統校を動かしていくのは大変なので、適材適所で協力してもらいながら。ただ指揮を執るのは私なので、しっかりリーダーシップを取って、協力してもらいたいなと思いますね」

 -学生を指導する楽しさはどこにあるか。

 「本当に振れ幅がすごくて。感動したのがコーチ1年目、2018年シーズンのリーグ開幕戦の同志社戦。春の時点では負けました(12-42)。正直、このチームは厳しいだろうなと。もちろんコーチだから、能力を引き伸ばそうとはするんですけど」

 -それが変わった。

 「接戦を制したんです(28-26)。ぼくは専門家のようにラインアウトとキックオフに特化したコーチみたいな役割をしていたので。あの試合のラインアウト成功率は100%。それだけ情熱を注いで指導をすると、選手たちも数字としても上げてくれると」

 -京産大は伝統的にスクラム、モールで押すイメージがある。

 「伝統として大切にしなくてはだめだと思います。もちろん選手たちも強みだと理解しています。ただ今まで通り、すべての場所、時間でやっていると結局もたないんです。時間帯とか、攻めているゾーンとかによって考え方を整理していきたいです。学生とのコミュニケーションでいいものを作っていければ」

 -これまで培ったものにプラスアルファをしていくと。

 「もっとゲームスピードを上げたいですね。要はボールが動いている時間が長くなるということです。ただ、ボールを保持している時間が長くなるだけではありません。例えばボールが外に蹴り出されてからラインアウトを開始するまで、今の大学生はだいぶスローなんですね。そこの展開を速めるとか」

 -31歳にして初めて日本代表に選ばれた経験は生きるか。

 「ぼくはそういう意味ではしつこかったというか。努力をやめることはしないタイプだったので。阪神・淡路大震災での体験も生きていると思うんです。九死に一生を得て。周りではたくさんの方が亡くなって。生きているって普通だと思っていたけど、奇跡というか、感謝しなくてはいけないんだなと。あの体験を通じて得たのが『今を全力で取り組む』ということ。そういうマインドは学生たちにも伝えたい。これって結局、京産の理念につながるんです」

 -阪神・淡路大震災が発生した1995年1月17日の当日は。

 「神戸市長田区にいました。家は鉄筋コンクリート造りだったので半壊で済んだけど、外に出るといつも見えない奥の地平線が見えたんです。外に出ると火が回り始めていて、これは大変なことになったと。命からがら、すぐ近くに小学校のグラウンドがあったので避難しました」

 -そこからは。

 「1カ月ほど工事現場の仮設に住まわせてもらえました。震災当日の夜は、小学校のグラウンドで友人の親の車の中で友達と2人で寝ました。天窓から星が見えてきれいだったけど、先は見えないなという真逆な心境とで、何とも言えない気持ちでした」

 -W杯代表の経験はどう生きるか。

 「ジャパンでの4年間はプロセスを実体験できました。当時の日本代表はそれまでW杯で一回しか勝ったことがなくて、いかにして世界のティア1と対等に戦っていけるかを4年かけて学べました。そういう意味では一つの経験値として生きます。最初はエディー・ジョーンズ監督のきっちりとした管理から始まり、自主性とかに発展したので、組織とかチーム、物事には順番があるんだろうなと思いますね」

 -目標は。

 「うちのチームはいつも日本一を目指しています。文化的な部分でそうしてきたので。私が監督になったからといって『今年は関西優勝が目標です』とは言わないですね。高みを目指して頑張るからこそ京産大ラグビー部であって、どんな選手が集まってこようが集まっていようが、チャレンジすることは決まっています」

 -学生たちにどう見られていると思うか。

 「何かしら新しい変化を加えてくれる、期待感を持ってくれていると思うんですよね。やろうとしている準備はあります。それを発揮したときにどういう変化が生まれるのか、見ていきたいですね」

 ◆伊藤鐘史(いとう・しょうじ)1980年12月2日、神戸市出身。兵庫工高から京産大に進み、4年時には主将を務めた。03年にリコーに入社し、09年に神戸製鋼に移籍し、主にロックとして活躍。31歳のときに日本代表に初めて選出され、15年W杯イングランド大会の日本代表にも選ばれた。日本代表キャップは36。17~18シーズンで引退し、18年に京産大のFWコーチに就任した。家族は妻と2男1女。

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