具志堅用高氏「聖火ランナーの服はトランクスとガウンじゃダメ!?」

 東京五輪開幕まであと150日。各競技、種目の代表選手選考が大詰めを迎えつつある中、3月26日には福島県から聖火リレーがスタートする。47都道府県を移動日を含めて121日間で巡る一大イベント。続々と内定しているランナーたちは、どんな願いを込めて聖火を運ぶのか。沖縄県を走るボクシング元WBA世界ライトフライ級王者の具志堅用高氏(64)に思いを聞いた。以下、具志堅氏との一問一答。

  ◇  ◇

 -聖火ランナーに選ばれたが、五輪のイメージは。

 「前の東京オリンピックの時は9歳。白黒テレビを買ってもらって見ていましたよ。アベベ選手(※アベベ・ビキラ)はよく覚えています。長い距離をいつも先頭で走っているのがすごいと思いました。その頃からオリンピックに出たかったですね。陸上競技、走ることが好きで、中学生の時には駅伝ランナーになったこともありますから。みんなに見られるのはその頃から好きでした」

 -高校からはボクシングを始めた。

 「私がボクシング部に入った時、沖縄でもボクシングのオリンピック予選があって、先輩たちが一生懸命やっていたんですよ。私は上原兄弟(※元日本フェザー級王者の弟・フリッパー上原と元WBA世界スーパーフェザー級王者の兄・上原康恒)のところに下宿していて、上原兄弟はそこでは勝ったんですが、代表にはなれなかった。1人だけ新垣さん(※新垣吉光。ミュンヘン五輪ボクシングライトフライ級代表)という先輩がボクシングで沖縄初の代表になったんです。先輩たちの試合を見たり、全国大会に出るようになって、モントリオールオリンピックを目指しました」

 -そして、拓大進学が決まっていたのが、羽田空港に着くと協栄ジムへ連れて行かれてプロになった。

 「『先輩が待っている』と言われて、連れて行かれました。それにはいろいろ訳があって、オリンピックの代表から漏れた沖縄の先輩が一斉にプロに入ったんですよ。5、6人ぐらいかな。それで、沖縄にもう1人いるぞ、となった。協栄ジムに入った上原兄弟の実家から、『具志堅が何時の飛行機に乗る』と伝えていたらしいです。ジムには何人も記者がいて、翌日の新聞には『具志堅プロデビュー』『100年に1人の天才』とでっかく載って。それを見たらうれしくなって、『じゃあ、プロでやります』となりました。実家には内緒で」

 -五輪には出られなくなりましたが、プロでは9戦目で世界チャンピオンに。

 「モントリオールの後にチャンピオンになりました。モントリオールの代表は先輩で、私の同期はモスクワ。私はその時12回ぐらい防衛していたのかな。ボイコットが決まったときはショックでしたよ。私と戦った選手もいましたから」

 -プロになっても五輪は気になっていた。

 「なっていました。柔道の山下(泰裕)さん、レスリングの高田(裕司)さん、強かったですね。あと、瀬古(利彦)さん。朝のロードワークで代々木公園を一緒に走っていたんですよ。速かったなあ。私が1周する間に2周する。もう、悔しくて。私がいるから、わざと代々木公園に来たんじゃないのかな」

 -そして、聖火ランナーで五輪出場がかなった。

 「オリンピックとプロの世界チャンピオン、小さい頃からの夢が実現する。こんなにうれしいことはないですね。本当に走るのが好きだった。聖火ランナーの服はトランクスとガウンじゃダメなのかな。私は目立つのが好きだから」

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