JOC山下会長「アスリートに余計な傷負わせたくない」 21年五輪開催へ力尽くす覚悟

 新型コロナウイルスの影響により、来夏に延期された東京五輪の開幕まで、23日で1年。東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(83)、日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長(63)がデイリースポーツのインタビューに応じた。競技日程と会場が発表され、着々と準備が進められる一方で、コロナ対策や大会運営の簡素化など取り組むべき課題も多い中、史上初めて延期となった東京大会への思い、複雑な思いを抱える選手たちへの思いをそれぞれに聞いた。

 -改めて開幕まで1年となった。17日には競技日程も発表。リスタートの思いか。

 「コロナ禍が、なかなか収束に向かっていない。今、世論調査でも厳しい数字が並んでいる。ただ、本来であれば夏の甲子園の予選になる大会が各地域で始まり、大相撲、プロ野球やJリーグも制限はついているけど、観客が入って開催できている。3密を避けながらですけど、徐々に日常生活が戻りつつある。これからさまざまなスポーツ活動が、コロナ対策に万全を期しながら動いていくし、10月からは五輪の出場資格を懸けた国際大会が開催されていく。そうやっていくと見える景色というものも、今、悲観的なものが多いけれども、これが見える景色が変わってくる。国民の皆さんの意識も変わってくる。そういうふうになっていくんじゃないかと思う」

 -開催国のオリンピック委員会会長として、どんなメッセージを世界に送るのか。

 「欧州や北米はある程度日本の情報は伝わっていると思う。アフリカや、中東、東南アジア、オセアニアの諸国、中南米など、なかなか日本の情報が入りにくい国に対して、今の日本の状況を伝えたい。例えば学校が再開されていること、プロスポーツも制限付きだけど観客を入れて行われていること、5月末にナショナルトレーニングセンターが再び利用可能になり、すでにトップ選手限定ではありますが、すべての競技団体で練習が積めていること、インターハイなどの全国大会は残念ながら中止になったけど、各地域で大会が開かれていること。そして、来年の競技日程も決まった。日にちは1日ずれたけど、同じ会場を使える。来年に向けていろんな環境が整ってきているんだという、ポジティブなメッセージを伝えたい」

 -会長就任から1年。難しいかじ取りだったと思うが。

 「記者会見でも言ったが、前任の竹田会長は招致の段階から、都や政府と一緒にやってこられていた。(自分は)なんにも分からんでね。五輪1年前じゃないJOCの会長なら分からなくはないが、ホスト国の会長で1年前なんて(苦笑)。しかも、竹田会長のようにずっとやってきたんなら分かるけど、強化畑でやってきた人間。これね。こんなことあっちゃいかんって。ただ、大変な状況ですけど、1年前のような、右も左も、前も後ろも上も下も分からない状況とは違う。そういう意味でいうと、少しは見えるようになった。東京2020大会の開催に向けて、力を尽くす覚悟はできている」

 -収束が見通せず、各メディアの世論調査でも来年の開催に悲観的な数字が並ぶ。選手たちは複雑な思いを抱えている。

 「不安な気持ちになっている選手が多くいるのは理解できる。生の声を聞いて、それを大事にして、それに対して我々が何ができるか。できるだけ迅速にやっていきたい」

 -出場できる、できないの状況は、ボイコットで日本が出場できなかった1980年モスクワ五輪の状況と重なる。当時も世論が2分されていた。

 「あまり過去は振り返らないが、あの時はショックだった。今と違って、五輪は開催されるけど、日本は参加しないということだったが、半数近くが“参加すべきではない”と。私に声を掛けてくれる人は、ほとんど『行くべきだ』と言ってくれたが。『ソ連がアフガニスタンで何をやっていると思っているんだ』『あんな国でやる五輪が平和の祭典と言えるのか』と、直接言ってくる人はあまりいなかったが、手紙では来ましたね」

 -今の選手たちも、なかなか五輪開催を望む声はあげにくい。

 「アスリートに余計な傷は負わせたくない。今、そういったことで傷つく人は多い。だからそういったリスクは全部こちらで取りたい。アスリートへいろんな声があった時には、できるだけアスリートに迷惑を掛けない形でこちらが会長がリスクを取る形でアクションしたい。僕は実物よりもずっとよく見られて、ずっとポジティブに書かれてきたんだから。そういう人間がまず泥をかぶって、しかもアスリートのためだったら。そこでかぶらずにどこでかぶるのか」

 -選手に掛ける言葉は。

 「五輪に出て、結果を残すとか、活躍するというのはすごいことなんです。大変なこと、すごいことを成す人で共通しているのは、できる可能性だけを信じられる。例としていいのかは分からないけど、私が(1984年の)ロスの五輪で足をけがしながら勝った、あるいは柔道で1992年のバルセロナ五輪で古賀稔彦が足をけがしても勝った。なぜ勝てたか。1番大きな理由のひとつはそういう状況下でも勝てる可能性しか信じなかった、見なかった、そこにしかフォーカスしなかった。不可能を可能にする人間は今、自分が置かれた現状をすべて受け止めて、自分のやるべきこと、やれることに集中する。それがトップクラスのアスリート。今、暗い話題ばかりになっている。世論調査も、あれは国民の正直な意見だと思う。あれは当たっていると思う。だけど、我々も全力を尽くして、五輪が開催されるようにできることを精いっぱいやる。しかし、みんなはみんなにできることを。限られた練習環境かもしれないが、それを受け入れてやれること、そのことに集中して、全力を尽くしてほしい。我々もみんなの不安を取り除くためにできる限りのことをやる」

 -金メダル30個の目標は堅持した。国際大会が開かれない中で、各国との力関係も見えにくいと思うが。

 「まったく見えない。ただ、強化本部長時代にみんなで綿密に分析し、立てた数字。今度、情報を修正するにしても、下方修正するにしても根拠が必要。それは現状では、しようがない。ただ、日本も世界も条件は同じ。逆にいうと、地元のアドバンテージはあるし、そういう意味でいうと可能だと思う」

 (続けて)

 「これを誰が決めたんだといえば、当時の本部長である自分。みんなで議論して本部長が決めて、そして、それを理事会で決めた。理事会で決めたらその時点で強化本部長より会長の責任が重くなる。つまり、もし達成できなければ、当時の選手強化本部長で今の会長をたたいてください。遠慮は無用です。でも達成した時は“さすが”と言ってくれれば」

 ◇ ◇

 山下泰裕(やました・やすひろ)1957年6月1日、熊本県上益城郡矢部町出身。84年ロサンゼルス五輪の柔道無差別級で金メダルを獲得し、同年10月に国民栄誉賞を受賞。85年の引退後は国際柔道連盟理事などを務めた。日本オリンピック委員会(JOC)では2013年に理事に就任し、17年から選手強化本部長を務めた。19年に竹田恒和前会長の任期満了に伴う退任後、会長に就任した。

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