レスリング・須崎優衣、金で恩返し 自力五輪絶望から奇跡の復活…家族の声で立ち直り
新型コロナウイルスの影響で来夏に延期となった東京五輪開幕まで1年を切った。レスリング女子で唯一代表が決まっていない50キロ級の代表候補、元世界女王の須崎優衣(21)=早大=がデイリースポーツのインタビューに応じ、自粛期間の過ごし方や、自力での五輪出場が絶望的だった昨年からの奇跡の復活劇を振り返った。
当時中学2年生。招致が決まった13年から東京五輪を人生の指針にしてきた須崎にとって、ただの目標というにはあまりに大きな大会が突然2020年夏から消えた。「正直、最初はビックリしました」。来夏への延期に伴い、23日に異例となる2度目の五輪1年前を迎えた。ただ前回、つまり昨年7月には絶望のふちにいた須崎にとっては、練習自粛を余儀なくされた日々も希望の火が消えることはなかった。
「この状況をプラスに捉えたもの勝ちだなと。1年延期になったことでさらに強くなれるチャンスをいただいたと思って、絶対にさらにパワーアップしてもっと強い自分で(五輪に)出られるんだという気持ちの方が大きくなりました」
緊急事態宣言が出た4月からは約2カ月間マットから離れ、千葉・松戸市の実家で過ごした。13歳で親元を離れ、レスリング漬けの毎日を過ごしてきた須崎にとっては懐かしく新鮮な日々。午前と午後の2度トレーニングをする以外は自由時間。普段はキッチンがなく包丁を握らないものの、実家では購入したレシピ本を開いて毎日違うメニューをつくったり、話題の韓国ドラマ『愛の不時着』に夢中になるという“普通の女子大生”のような時間を過ごした。
「普段みんなと話していて『アレ面白いから見てみな』とか言われても、1話1話長いし(忙しくて)なかなか見る気にならなかったんですけど、(自粛期間で)時間があるし見てみたらめっちゃハマっちゃって(笑)」
何より、最も力をくれたのは家族とゆっくり過ごす時間だった。特に、4歳上で社会人の姉麻衣さんはレスリングの練習ができない妹を案じ、仕事が休みの日は「一緒に練習をやらせて」と打ち込み相手を買って出てくれた。幼少期以来久々に姉妹で肌を合わせたが、その心意気がうれしく、背中を押された。
「家族みんなが、自分が活躍するのを楽しみにしてくれて、すごく応援してくれていると。一緒に過ごして改めて感じました」
1年前は競技人生最大という挫折を味わった。16年リオデジャネイロ五輪まで女子レスリング界をけん引した吉田沙保里、伊調馨らの後の新たなエース候補として期待を受けてきたホープは、17、18年と世界選手権を2連覇。いよいよ「須崎時代」の到来かと思われたが、18年11月の代表合宿中に左肘を完全脱臼。さらに、翌19年のプレーオフでライバルの入江ゆき(自衛隊)に敗れ、五輪代表権が懸かる世界選手権への出場を逃した。この時点で自力での五輪切符は絶望的。虚無。心にぽっかり穴があいた。
「(13年に)招致が決まり、絶対に東京五輪に出て金メダルを獲りたいと思って毎日やってきたので、これから何のためにレスリングをするのだろう、何のために生きていくんだろうと…」
どん底に突き落とされたときも、前向きな言葉を掛けてくれたのが姉の麻衣さんだった。「今までよく頑張ったね。でも、まだ終わったわけじゃない。まだチャンスがあると可能性を信じて、今まで通り優衣らしく頑張ればいいよ」。家族や周囲の声で何とか立ち直り、1%の可能性を信じて準備を続けた須崎を神様は見捨てなかった。
ライバルが五輪枠を逃したことで、一度は失ったチャンスが復活。昨年12月の全日本選手権で入江に雪辱を果たし、消えかかった五輪挑戦権を再びつかんだ。そんな上昇気流のさなかのコロナ禍に戸惑いもある。五輪予選も延期となり中ぶらりん状態。ただ、絶望からよみがえった21歳は既に新たな青写真を描いている。
「まずは体づくりから徐々に上げていって、アジア予選で絶対に優勝して五輪代表になる。1年後さらにパワーアップした自分で出場し、絶対に金メダルを獲って応援してくれた人や支えてくれた人に恩返ししたいです」
来夏に“不時着”となっても、変わらぬ目的地に必ずたどり着く。