正代初V&大関昇進決めた!時津風部屋57年ぶりの優勝「地元、監督、両親に感謝」
「大相撲秋場所・千秋楽」(27日、両国国技館)
関脇正代が翔猿を逆転の突き落としで退け、13勝2敗で初優勝を果たし、大関昇進を決めた。故郷熊本に悲願の初賜杯をもたらして男泣き。名門・時津風部屋では1963年名古屋場所の大関北葉山以来、57年ぶり優勝となった。番付編成を担当する審判部は八角理事長(元横綱北勝海)に大関昇進を諮る臨時理事会の招集を要請し、了承された。30日、理事会と11月場所(11月8日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議後、「大関正代」が誕生する。
花道で目を潤ませる付け人を見て、正代もたまらず、こみ上げた。現役時から背中を追ってきた兄弟子、井筒親方(元関脇豊ノ島)の姿が目に入り、さらに涙があふれ出た。
負ければ決定戦の大一番。早朝5時まで眠れなかった。「相撲人生で一番緊張」と前日までとは別人。息は上がり、口はカラカラ。仕切りながら自身の心臓の音が聞こえた。
立ち合い、いつもの破壊力がなく防戦一方。無我夢中で最後は右足1本、俵に残し逆転の突き落とし。「やったぞ!!」と小刻みに10回以上もうなずいた。
13勝2敗で悲願の初優勝。横綱土俵入りの型に名を残す横綱不知火を輩出した熊本ながら1909年優勝制度制定以降では県勢初。4年前の熊本地震、度重なる水害に遭った故郷からいつも力をもらった。「地元のたくさんの応援、相撲部の監督、両親に感謝したい」と恩返しとなった。
関脇の地位で3場所計32勝。昇進目安の33勝には届かないが審判部は安定感を評価。30日、昇進伝達式が行われ、「大関正代」が正式に誕生する。
Vに大関と一夜にして人生がバラ色。「信じられない。まだ実感が湧かない」と繰り返した。大関の印象には「全員があこがれる地位。責任がかかる」と上の空で話した。
正代の代名詞といえば“ネガティブ”。新十両昇進会見で「誰とも当たりたくない」と弱気。それ以降も「現状維持が大事」、横綱白鵬戦を前に「けがなく生還したらいい」と、消極発言は続いた。
新関脇までスピード出世したが、その後は丸3年、三役定着できず。貴景勝、朝乃山ら後輩に次々と抜かれた。転機は昨年、春場所と秋場所で2度の9連敗を喫し流した悔し涙。それから1年をかけ地道な基礎運動、筋トレで鍛え上げた。今年2度、優勝争いで自信。今場所前、かつてのネガティブ男はこう言った。「優勝したい。結果を残したい」。人間は変われるのだ。
大横綱の双葉山が創設した名門部屋で57年ぶり賜杯、1963年初場所の豊山に続く5人目の大関となった。コロナ禍に加え、両横綱が初日から休場した波乱の秋、くまモンのような“癒やし系大関”誕生で幕を閉じた。