カヌー五輪ヒロイン候補・多田羅英花「自分を信じてあげられるのは自分しかいない」
カヌー女子スプリントの多田羅英花(28)=愛媛県競技力向上対策本部=が、東京五輪出場まであと一歩まで迫っている。今季初レースとなった9月の日本選手権で、女子カヤックシングル500メートルを制した。出場が内定している来年3月の五輪予選を兼ねるアジア大陸予選(タイ)で優勝すれば、五輪出場枠獲得とともに五輪代表に決まる。自分に自信を持つことで“全盛期”を迎えつつある東京五輪のヒロイン候補に迫った。
「アジア最終予選の内定をもらっている選手として、負けちゃいけないと思っていた。勝てたうれしさより安心感の方が大きかったですね」
先月の日本選手権、12年ロンドン五輪代表の大村朱澄(30)=城北信用金庫=に、0秒453差で競り勝って優勝したレースを、多田羅はそう振り返る。新型コロナウイルスの影響で多くの大会が中止になり、ようやく迎えたレースだったが、喜びはなく「最初は試合が怖かった」という。
「本当に多田羅でいいのか」。今年3月の記録会でアジア最終予選の内定を勝ち取った直後から、そんな声が聞こえてきた。「認めてもらうには結果を出すしかない」。批判的な意見をバネにする一方で「負けたらもっと批判されるんじゃないか」と、自信が持てず、後ろ向きに考えてしまい、一時は日本選手権の回避も考えた。
自分に自信をもてなくなったきっかけのひとつは、15年11月にインドネシアで行われたリオ五輪アジア最終予選。選考会を勝ち抜いての代表入りだったが、レース前日の全体ミーティングで、突然のメンバー変更とレースに出られないことを知らされた。帰国便は決まっており勝手には帰れない。3日間、朝4時に起きて他の選手に具の希望を聞いておにぎりを握り、みそ汁をつくり続けた。
事前に説明はなく、自ら聞く気にもなれず、変更のはっきりとした理由はいまだにわからないという。実力不足か、ならばなぜインドネシアまで連れてきたのか、さまざまな感情が入り交じり「もうカヌーはいい。引退しよう」とまで考えた。周囲の支えもあり競技は続けたものの「私なんかが」、その思いはつい最近まで消えなかったという。
長年のトラウマを払しょくできたのは、代表スタッフの枦木駿氏の言葉からだ。
「自分を信じてあげられるのは、自分しかいない」
内定を獲得した直後の鹿児島・伊佐合宿で、認めてもらえない悔しさ、「やっぱり自分はダメなのか」と、自分を肯定できないもどかしさを吐露した時に、枦木氏からそう返された。それから批判的な意見ばかりを気にするのではなく「自分の心の声に耳を傾けよう」と努力するようになった。
4月には政府の緊急事態宣言が出て、移動や練習が制限。伊佐合宿は約5カ月の長期に及んだ。水面に出られない中でも、昨年12月から取り組み始めたフォームとテクニック改造を突き詰め、ここにきて自分の伸びしろを実感しているという。
回避も考えた日本選手権の予選で、自己ベストに迫る1分55秒台を記録。決勝も制し「殻を破ったような感覚。日本人選手に追われていることに恐怖を感じない」と、今までになかった自信を手にした。「コンディションは選手生活の中でも一番だと思う」。心身ともに充実期を迎えている。
アジア最終予選のカヤック女子シングル500メートルに出場する日本選手は多田羅1人。今季国際試合がなかったため、アジア勢の実力も未知数だ。目標に掲げる52秒台へ「とにかく自分と勝負するしかない」とやるべきことは決まっている。
憧れの兄・晃広さん(29)の後を追って中学から始めたカヌー競技は、東京五輪で最後と決めている。「大好きなカヌーを大好きなまま終えたい。家族やお世話になった方々に恩返しするなら、日の丸をつけてオリンピックの舞台でこぐことが一番だと思う」。アジアを制し、東京へ。自分を信じて、夢への階段を駆け上がる。