吉田祐也 パリ五輪の星だ!2回目マラソンで日本歴代9位「今後も努力したい」
「福岡国際マラソン」(6日、平和台陸上競技場発着)
2回目のマラソン挑戦で、一般参加の吉田祐也(23)=GMO=が日本歴代9位の2時間7分5秒で初優勝した。新型コロナウイルスの影響で海外招待選手不在の中、30キロ過ぎにトップに立ち、後続に33秒の差をつけて逃げ切り、2024年パリ五輪の有力候補に名乗りを上げた。
博多の青空に何度も突き上げた右の拳が、新星誕生の合図だった。最後まで腕時計をにらみ続け、2回目のマラソンでたたき出したタイムは、日本歴代9位の2時間7分5秒。74回の開催を誇る伝統の大会で、優勝をかっさらったのは社会人1年目、23歳の吉田祐也だった。
「今年1年、マラソンで結果を出すことを考えて取り組んできた。自分がやってきたことは間違っていなかったと証明できてうれしい」
序盤は集団の後方左側で息を潜めた。17年大会で3位に入った、現日本記録保持者の大迫傑(ナイキ)の位置取りをインプットしていた。ペースメーカーが外れた30キロ過ぎ、主役はオレだ!!とばかり先頭へ。40キロを過ぎても1キロ約3分のペースを刻む一人旅だった。
一度は引退を決意した競技人生。今年1月、青学大4年でつかんだ最初で最後の箱根駅伝4区で区間新記録を樹立した。卒業後に陸上はやめるつもりだったが、恩師の原晋監督に勧められ、1カ月後の別府大分毎日に挑戦。初マラソン歴代2位の2時間8分30秒で日本人トップの3位に食い込み、心が揺れた。
大手食品メーカー、ブルボンの内定を辞退。GMO入りし、陸上漬けの日々を選んだ決断に「努力は別に評価してくれなくていい。結果だけを見て、やってくれて良かったという結果を残したかった」と、まずは今大会優勝の覚悟を固めた。
コロナ禍での自宅生活では、陸上の文献や論文を読みあさっている。今大会前には、予定した練習がこなせていないと分かると休日に2時間半ほど走った。求道者のような姿に、指導する花田勝彦監督が「私の仕事は彼を止めること」と舌を巻くほどだ。
東京五輪代表の服部勇馬(トヨタ自動車)が大会直前に右足痛で欠場したことに「次に日本代表を争うような大きな大会で、正真正銘日本一だと言えるように今後も努力したい」と謙虚な姿勢も崩さない。「最終的には五輪が目標。タイムの目標は(2時間5分29秒の)日本記録だけど、勝ちきれる選手になりたい」。今春の岐路が切り開いたパリへの道。人生って分からない。