アーチェリー・パラリンピック代表内定の上山友裕 コーチと二人三脚で晴れ舞台へ挑む
アーチェリー男子の上山友裕(33)=三菱電機=は、初出場で7位だった2016年リオデジャネイロ・パラリンピック後から「満員の会場で金メダル」を目標に掲げてきた。同年9月に16位だった世界ランキングは2位まで上昇。代表に内定している東京大会の表彰台を射程に捉える。
同志社大でアーチェリーを始めたが、社会人1年目から歩きづらくなった。原因不明の両脚まひ。「だんだんと悪くなっていったので、正直ショックだったというのはない」と振り返る。
車いすから矢を放つようになると、めきめきと力を伸ばした。足で踏ん張れない分、弓が重く感じるようになったものの、筋力を強化して対応。大学生時代よりも強い弓を引けるようになった。
大阪出身。関西弁でしょっちゅう冗談を飛ばす陽気な人柄で、試合も「おびえず楽しめる」。18年は後半に調子を落としたが、翌年4月にドバイでの国際大会を制して自信を深めた。「全然負ける気がしない」と心理的に優位に立てるようになり、勝負強くなった。
「誰もやったことがないようなことをやろう」と知恵を巡らせる創意工夫も成長の要因だ。個人練習では色の違う矢を使い、それぞれの選手になりきる一人二役の「試合形式」も実施する。
自身の誕生日で、東京パラが行われているはずだった20年8月28日。延期された晴れ舞台の代わりにと自ら呼び掛け、海外のトップ選手6人とリモートで競った。ライバルが意外と調子を保っていることを知り「自分の甘さに気付いた」と大きな刺激を受けた。
アーチェリーを始めた頃、父の博和さんが一番の味方だった。多額の用具代を払い、自宅ガレージには近所から畳を集めて練習用の「近射台」設置に協力してくれた。だが、リオデジャネイロ大会の前年に急死。ショックで不調に陥った上山は逃げるようにして近射台にこもり、そこで「今の自分を父親が見たらどう思うやろう」と考え直して復活した。
末武寛基コーチ(30)とも固い絆で結ばれている。強豪校の近畿大時代に世界選手権にも出た健常の元トップ選手。現役時代から親しかった上山に助言し、鋭い観察眼でフォームを進化させた。
19年、末武コーチは指導に専念するため仕事を辞めた。上山の代表内定前で、自身もまだコーチに決まっていなかったにもかかわらず「東京までは何があっても(面倒を)見る」と決断した。
「自国大会でのメダルは最高の喜び。その手伝いができればいい」と話す相棒との付き合いは10年以上。上山は「僕の性格を分かっている。名コンビ」と信頼を寄せ、二人三脚で研さんを積む。