【悼む】古賀稔彦さん 真の金メダリスト-弱音を吐かなかった「強さ」
1992年バルセロナ五輪柔道男子71キロ級金メダリストの古賀稔彦さんが24日午前9時9分、がんのため川崎市内の自宅で亡くなった。53歳だった。葬儀・告別式は29日に執り行われる。時間や場所は非公表。関係者によると、昨春に体調を崩して一時入院し、手術も受けたという。豪快な一本背負いを武器に大きな選手を投げ飛ばした「平成の三四郎」の突然の訃報に、柔道界、スポーツ界は悲しみに暮れた。
◇ ◇
その時、私はバルセロナ市内のとあるビルの中にいた。そこは日本柔道代表チームが本番前の練習場として借りたもので、ガラス張りの部屋の中には選手から「滑る」と不評の畳が敷きつめられていた。
古賀はその上で後輩の吉田秀彦と乱取りを行い左膝を負傷した。古賀の痛みにゆがんだ顔、申し訳なさそうにしている吉田の様子は今でも鮮明に記憶にある。その後、古賀はスタッフに背負われて病院に向かった。
試合当日はスタンドから古賀の試合を観戦した。左膝が痛くても歯を食いしばって耐え、十八番の一本背負いを繰り出す。決勝戦の相手はいわゆるポイント柔道選手で腰を引いて技のかけ逃げを繰り返すだけだったが、古賀は果敢に前へ前へ攻めて判定勝ち。両手を会場の天井に突き上げて喜びの涙を流した。先輩のけがの原因を自分が作ったと思い込んでいた吉田も駆け寄り、古賀以上に男泣きに泣いた。
その様子を見て、私も熱いものがこみ上げてきた。けがを乗り超えての金メダル獲得はあまりにも格好よかったが、それ以上にけがをしてから金メダルをつかむまで弱音をひとつも吐かなかった古賀の「強さ」に琴線を揺さぶられたからだった。過去に数多くの金メダリストを取材してきた中で、私の中では古賀こそが金メダリストの中の金メダリストだった。合掌-。(デイリースポーツ・バルセロナ五輪担当・松本一之)