瀧本誠氏 古賀稔彦さんは先輩であり兄-すべてにおいてあこがれの存在
1992年バルセロナ五輪柔道男子71キロ級金メダリストの古賀稔彦さんが24日午前9時9分、がんのため川崎市内の自宅で亡くなった。53歳だった。葬儀・告別式は29日に執り行われる。時間や場所は非公表。関係者によると、昨春に体調を崩して一時入院し、手術も受けたという。豪快な一本背負いを武器に大きな選手を投げ飛ばした「平成の三四郎」の突然の訃報に、柔道界、スポーツ界は悲しみに暮れた。
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古賀さんは、中学、高校と講道学舎で学んだ大先輩です。7歳年上で、中学のときから稽古をつけてもらいました。先輩であり、兄のような存在です。
同じ階級だったときがあり、バルセロナ五輪後に休養し、階級を上げて復帰されたときは同じ78キロ級でした。復帰戦となった94年の講道館杯で戦ったのです。
実績が全く違いましたし、負けて当然だったのでとにかく攻めて…。判定で勝てて、すごく自信になりました。その後も1回対戦しましたが、負けました。古賀さんの柔道は相手に何もさせません。勝つのが本当に難しい柔道でした。
高校を出るとき、古賀さんは日体大の教員をされていました。熱心に「日体大に来い」と誘われたことも覚えています。その後も、今後の柔道のやり方とかいろいろと教えてくださいました。
古賀さんの周りってすごく輝いて見えたんです。何をしたらああいう風に輝けるのかな、といつも思いながら。だからしぐさをまねてみたり、古賀さんがつけているテーピングの位置を見て、痛くもかゆくもないのにつけてみたりして。すべてにおいてあこがれの存在でした。
最近はお会いしていませんでした。人伝いに体調が悪い、とはうかがっていたんですけど…。本当に信じられません。心よりご冥福をお祈りします。(00年シドニー五輪男子81キロ級金メダリスト、駒大総合教育研究部 スポーツ健康科学部門准教授・瀧本誠)