阪神・佐藤輝の父・博信さん 大学時代の友・古賀さん偲ぶ「やっぱり同じ人間なんだな」
1992年バルセロナ五輪柔道男子71キロ級金メダリストの古賀稔彦さんが24日午前9時9分、がんのため川崎市内の自宅で亡くなった。53歳だった。葬儀・告別式は29日に執り行われる。時間や場所は非公表。関係者によると、昨春に体調を崩して一時入院し、手術も受けたという。豪快な一本背負いを武器に大きな選手を投げ飛ばした「平成の三四郎」の突然の訃報に、柔道界、スポーツ界は悲しみに暮れた。日体大柔道部の同期で、阪神のドラフト1位・佐藤輝明内野手(22)の父・博信さん(53)が故人をしのんだ。
突然の知らせを受け止めることはできなかった。博信さんは「とにかくびっくりした。嫁さんの朝の第一声が“古賀さんが亡くなった”って。しばらく起き上がれなかったです。まあ、やっぱりね…。同級生やし、いなくなると、やっぱりデカいですね、存在が」。最後に会ったのは2018年に兵庫県で開催された全国学生体重別だった。
高校時代から全国大会を制しスーパースターだった古賀さんと、「無名だった」と話す博信さんは日体大柔道部で出会った。仙台育英高を経て東京に出てきた博信さんにとって、おぼろげだった五輪への夢を身近に感じさせてくれた存在だ。
もちろんその練習の姿は「えぐかった」と想像を絶するものだったが、畳を離れればその人間臭さにひかれた。「柔道では全然歯が立たないですけど、日常生活で一緒に酒飲んでべろべろになったり、ちょっとしたことで悩んでたりする姿を見るとね。同じ釜の飯を食った人間からするとやっぱり同じ人間なんだなと。自分らと変わらないんだなと。アホなことも言うし。身近な人間が五輪に出ると、自分でも行けるんじゃないかと思えた」。
最終学年では古賀さんが主将、博信さんが副主将を務めた。切磋琢磨(せっさたくま)する中で、博信さんも1988年にチェコ国際を制し、90年には正力国際準優勝。卒業後の91年には講道館杯で優勝した。五輪には届かなかったが“平成の三四郎”と過ごした日々は間違いなくかけがえのない時間だった。
卒業後も交流は続き、佐藤家の表札をデザインしたのは古賀さん。20年、息子の輝明内野手が阪神からドラフト1位指名を受けた際もLINEで祝福メッセージが届いた。
酒を飲んでは博信さんを酔わせ、古賀さんは平気な顔をしていたという。「だいたい、あいつといたら間違いなく、べろべろになる。飲ませ上手だから。いや強いんですよ、酒が。焼酎1升ぐらい平気だったね。九州人だからね」。その屈託のない笑顔をしのんだ。
◆佐藤博信(さとう・ひろのぶ)1967年4月25日、宮城県出身。仙台育英高-日体大。現役時代は86キロ級で88年チェコ国際優勝、90年正力国際準優勝、91年講道館杯優勝。大阪産大教員をへて、関西学院大人間福祉学部准教授。