古賀稔彦さん 53歳、早すぎる死「平成の三四郎」バルセロナ五輪で重傷を負いながら金

 1992年バルセロナ五輪柔道男子71キロ級金メダリストの古賀稔彦さんが24日午前9時9分、がんのため川崎市内の自宅で亡くなった。53歳だった。葬儀・告別式は29日に執り行われる。時間や場所は非公表。関係者によると、昨春に体調を崩して一時入院し、手術も受けたという。豪快な一本背負いを武器に大きな選手を投げ飛ばした「平成の三四郎」の突然の訃報に、柔道界、スポーツ界は悲しみに暮れた。

 あまりにも早く、突然の別れだった。相手を高々と担ぐ芸術的な一本背負い投げを武器に、「平成の三四郎」の異名を取った古賀さんが、53歳で帰らぬ人となった。昨春ごろからがんで人知れず闘病していたという。

 佐賀県出身の古賀さんは小学1年で柔道を始めると、各世代でタイトルを獲得。中学、高校の6年間は東京の柔道私塾「講道学舎」で過ごし、ともにバルセロナ五輪を制覇する男子78キロ級の吉田秀彦らと鍛えた。

 バルセロナ五輪では、現地到着後の初練習で吉田との乱取り中に左膝の靱帯(じんたい)を損傷。重傷を負いながらも、痛み止めの注射を打って激闘を制し、執念で金メダルを獲得して感動を呼んだ。96年アトランタ五輪は78キロ級に階級を上げ銀メダルを獲得した。

 体重無差別の全日本選手権でも“伝説”を残した。90年大会に出場し、中量級でありながら重量級相手に勝利を重ね、決勝に進出。決勝は当時最重量級で世界王者の小川直也に敗れたものの、準優勝に輝いた。

 現役引退後は日本女子代表のコーチを務め、2004年アテネ五輪で女子63キロ級の谷本歩実を金メダルに導いた。自身の道場「古賀塾」でも指導。07年に環太平洋大の総監督に就任し、女子で全国屈指の強豪に育てた。

 関係者によると、古賀さんはがんのため昨年3月に腎臓を片方摘出し、見た目にもやせていた。昨秋の講道館杯全日本体重別選手権では現場を訪れ「まあまあ元気」などと笑顔を見せていたが、最近になって腹水がたまるなど体調が悪化したという。ただ、病状は一部にしか明かしておらず、肉親にも伏せていた。佐賀県によると、古賀さんは東京五輪の聖火ランナーとして5月に地元の同県みやき町内を走る予定だったがかなわなかった。

 日本柔道を体現した古賀さんの勇姿は、後輩たちにも大きな影響を与えた。逆境を乗り越え、強く、気高く戦い続けた姿は永遠に色あせない。

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