鶴竜が引退会見「何かから解放された気持ち」心身ともに限界「気持ちが切れていて…」
「大相撲春場所・12日目」(25日、両国国技館)
24日に現役引退を発表し、年寄「鶴竜」を襲名した横綱鶴竜(35)=陸奥=が25日、両国国技館でリモートによる引退会見を行った。
引退から一夜明けた心境に関し「何かから解放された気持ち。ボーッとしているじゃないけど、何も考えないでいいという感じ」と、肩の荷を下ろした。
横綱として227休。けがに泣いた土俵人生だった。左肩、両足首を負傷、最近は重度の腰痛に苦しめられた。再起を期した今場所直前、左ふくらはぎを痛めた。四股も踏めず、5場所連続休場と土俵に戻れなかった。
「家族、親方、おかみさん、後援会のすべての方にもう1度、土俵に上がっている姿を見せたいと、何とか土俵に上がろうと思っていた。気持ちが少しずつ、今考えると削られていて、体が悲鳴を上げていて、無理なんだなという信号を出していて、気持ちが切れていて、中途半端な気持ちで土俵に上がるわけにはいかないので、引退を決めました」と、心身ともに限界だった。
昨年11月場所後、横綱審議委員会(横審)から史上初の「注意」決議を受けた。その後も2場所連続で出場できず、今場所後、最も重い「引退勧告」を含む決議を受ける可能性もあった。ここが引き際と悟った。
「休場が多かったので、けがして休場が何回もあった。そういう意味で本当に協会の方、親方たちにもよくここまでやらせていただいたなという気持ちもありますし、これ以上は無理かなと自分でも思いました」と、状況を見ても、続けることは難しかった。
16歳時、日本に相撲への思いを訴える1通の手紙を送り、それが先代師匠の井筒親方(元関脇逆鉾)の目にとまり、井筒部屋に入門がかなった。
「それで拾ってもらったから。『一生懸命に頑張ります』って書いてある。その言葉を守ることができたのじゃないかなと思いますね。よくここまで頑張れた。(日本に来て)良かった。本当に良かったです。感謝です」と実感を込めた。
来日時、体重65キロながら頭脳明晰(めいせき)な少年は師匠の先代井筒親方(元関脇逆鉾)の指導で力を付けた。先代師匠譲りのもろ差し速攻と、技能は抜群だった。
初土俵から5年の06年九州場所、新入幕。12年春場所後に大関昇進。そして14年春場所、初優勝と同時に71代横綱昇進を果たした。
「16歳の若い子が夢を持って日本に来て、まずは関取になりたい、その夢をかなえて、幕内に上がりたい、三役に上がりたい、夢が大きくなってきて、横綱にまでなって、長く相撲が取れると思っていなかったので、人間として、男ととして、お相撲として大きくさせてもらった」と、まさにジャパニーズ・ドリームを体現した。
横綱昇進後はけがを重ね、重圧との戦いだった。「横綱に上がってからほとんどけがとの闘い。それを乗り越えるたびに一つずつ成長していたところもある。(横綱に)上がった時から、何をしていても相撲のことを考えたり、体のことを考えてずっとやってきた。それが今はなくなったというか、解放されて、本当に何かうれしいというか、ああ良かったというか、ホッとしています。きついとか思わなくてもいい、プレッシャーとか考えなくて良い」と再び安どの気持ちを明かした。
20年の土俵人生、思い出の一番は新十両を決めた2005年秋場所、5勝目を挙げた時。「これ一つとあれば、関取になれた一番ですね。夢が広がったわけですから。関取にならなかったら次の夢が広がっていけないので、まずは最初の自分の目標が達成できた喜びが特別」と語った。