空手・植草歩が師範のパワハラ告発 竹刀で目突かれ負傷も「恐怖心あるから強くなれない」
空手の東京五輪女子組手61キロ超級代表に内定している植草歩(28)=JAL=が28日、全日本空手道連盟・香川政夫強化委員長(65)からパワーハラスメントを受けたと訴えている問題について、自身のブログを更新し、詳細にわたって経緯を説明した。
香川氏は強豪・帝京大空手道部の師範で、植草も帝京大出身で指導を受けていたが、「昨年9月頃から、師範から、練習環境のこと、大学院進学のこと、その他プライベートや自活の為の仕事のことなどで、自立心・自尊心を傷つけられたり、大声で怒鳴られたりすることが多くなりました」と、明かした。
そのストレスのため「12月頃からは、私は帝京大学へ行くこと、そして師範と顔を合わせることもとても辛くなり、練習のために道場へ向かうときも涙が止まらぬ日々を過ごす事となりました。息苦しい環境での練習による精神的苦痛から、練習に参加できないまま、帰宅することもありました。その頃は、余りの辛さに、精神的に追い詰められたような状態になっていました」と、説明。全空連理事や強化委員会のスタッフに相談するも、なかなか事態は解決しなかったという。
そして今年に入り、植草の負傷からの練習復帰を巡り、香川師範が帝京大で練習していないことを理由に、「2週間もろくに練習していないやつが合宿に来たら他の選手の目障りや。」と3月の五輪代表合宿への参加を認められなかったことがあり、「東京オリンピックが近づくなかで、この状況を何とか打開しなければと思い、先に述べましたようにJOC相談窓口に、ご相談する機会を得て、前向きに、解決することを決めました」と、JOCなどに相談したという。
また、「竹刀で顔面を突かれた」との報道にも言及し、帝京大で導入された竹刀のトレーニングでケガ人が続出していたことを説明。その中で「1月27日、師範の竹刀が私の目に当たってしまいました」と、実際に竹刀の先端で目を突かれたことを告白した。15年に左眼内壁骨折で手術を受けている植草は失明の危険性があったという。
その中で起こった事件。「師範が、私の顔面をめがけて竹刀の先端で突き、これが私の左目、そしてまさにプレートが入っていた箇所を直撃したのです。竹刀が直撃した時、私は、あまりの激痛に、その場で眼を押さえて動けなくなりました。その様な状態の私に、師範は『もういい。』と言って、稽古は終わりましたが、その際に師範から、『きちんと受けないとあかんのや。』と言われました。師範は私の怪我や治療手当てのケアの言葉はありませんでした」と、生々しいやりとりを綴った。
そして「突かれた左眼は練習後もしばらく視界が悪く、痛みも強く、頭もぼうっとしていましたので、翌日、国立スポーツ科学センタースポーツクリニックを受診したところ、『左眼部打撲、左上眼瞼擦過傷、脳震盪の疑い』と診断されました。ただ、医師からは、骨折や網膜剥離の疑いもあり、念のため精密検査を受けたほうが良いと言われましたので、翌1月29日にも、昭和大学病院附属東病院で診察を受け、『左眼球打撲傷』と診断されました。
その後も、師範からは、怪我への心配や、当然の事ながら謝罪の言葉は無く、何事も無かったかの様に、竹刀を用いた指導は、続きましたので、私は、ナショナルチームコーチに、この稽古を止めて欲しい旨を相談しました。ナショナルチームコーチは直ぐに、師範に対し、『竹刀ではなく柔らかいスポンジを使って欲しい、もしくは竹刀の先端部分に柔らかいクッションを付けて欲しい。』との改善策を師範に陳情して下さいましたが、師範は、『わしはコントロールできるから大丈夫や。』、『これくらいで折れるわけがない。』、『植草は、その恐怖心があるから強くなれないんや。』等と言って、怪我の防止策すら考慮する事無く、竹刀での練習は続きました。その後も、要望は受け入れられず、結局、この稽古は、私の負傷の後も1ヶ月近く続きました」と、詳細を明かした。
関係者によると、全空連は31日に両者に聞き取りを行う方針。その後、聴取内容に応じて倫理委員会を開催する。植草は「私は、この数か月間、このような事実をお話しすることにより、多くの方々や関係者にご心配やご迷惑をおかけしてしまうのではないか、そして、私はこれから空手界で生きていく場所を失ってしまうのではないか、さらに、東京オリンピックに向けた準備も十分にできなくなってしまうのではないか等をずっと思い悩んできました。皆様が、知ることとなった今は、ここで私が、様々な恐怖の為、声を上げることを我慢してしまえば、これまで、解決の為にお力添え下さいましたコーチや先生方、支えてくれた仲間にも申し訳なく、また、このままの状態が続くことは、オリンピック選手としても、望ましいことではないと思い、微力な私ですが、精一杯の勇気を出して、真実をお伝えすることに致しました」と、覚悟を記した。