照ノ富士が昭和以降初の大関復帰場所V 貴景勝との決定戦制し2場所連続賜杯
「大相撲夏場所・千秋楽」(23日、両国国技館)
21場所ぶり大関返り咲きの照ノ富士が12勝3敗で並んだ貴景勝との決定戦を制し、自身初の2場所連続、4回目の優勝を決めた。大関として初賜杯を手にし、名古屋場所(7月4日初日、ドルフィンズアリーナ)で初の綱とりに挑む。大関復帰場所で優勝は昭和以降初めて。最近6場所で優勝3回と“照時代”の到来を予感させた。
感動した。20年前の夏場所、貴乃花同様、本当に「痛みに耐えてよく頑張った」。決定戦後、照ノ富士は花道で顔をゆがめ息を吐いた。爆弾を抱える両膝はもう限界だっただろう。表彰式後は1人で土俵を下りられず、手を添えられた。
死闘だった。本割で貴景勝に突き落とされ、過去3戦全敗の“鬼門”決定戦に持ち込まれた。「やってきたことを信じて土俵に上がった」と切り替えた。
右かち上げで起こして猛攻。右を差し圧力をかけ最後はよく見てはたいた。興奮、痛みに鬼の顔。2001年の貴乃花がダブった。 優勝インタビューで万雷の拍手を浴びた。「うれしい。決定戦はいつも負けていた。一生懸命、頑張った」と、祝福に応えた。
初日から10連勝。独走が一転、11日目にまげつかみで反則負け。勝てば優勝の14日目、また軍配差し違えで2敗目を喫した。苦しい道のりを救ったのが師匠・伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)の言葉だった。「そういう相撲を取った自分が悪いと思って成長しなさい」。前だけを向き最後を踏ん張れた。
師匠を信じ抜いた。両膝負傷に内臓疾患が重なり、18年名古屋場所で幕下に降下。師匠に5、6回も「辞めたい」と直訴。そのたびに説得された。おかみの杉野森淳子夫人は「ここで辞めたらやさぐれてしまう。それを食い止めたかった」と夫の心情を明かす。師匠の思いを知り照ノ富士は人生を預けた。
大関復帰場所で優勝は初の偉業。2場所連続4回目、大関として計15場所目で初V。「いつもよりはうれしい」とかみしめた。
審判部長の師匠は名古屋場所で初の綱とりを明言。「1年3回の優勝。2場所連続優勝している。準ずる成績を出せば話も出てくる」と優勝に準ずる成績を昇進ラインとした。
膝に不安があり「やるしかない」と悲壮感。決して現役は長くない。「もっと勉強して頑張らないといけない。これ以上に努力していきたい。力が出ているうちに自分の力がどこまで通じるか。最後に引退する時、すべてを出し切りましたと満足したい」。夢の横綱を一気に決める。