白鵬 入門時は細身の少年が横綱に、14年超在位“朝青龍後”の土俵支える

白鵬
2004年4月、新入幕を果たし宮城野親方(右)と番付表を持つ白鵬=東京都墨田区の宮城野部屋
大相撲に入門したころの白鵬
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 大相撲の横綱白鵬が引退の意向を固めたことが27日、明らかになった。01年春場所で初土俵を踏み、横綱には07年夏場所後に昇進。以後、14年以上も第一人者として土俵を務めた。その足跡をまとめた。

 白鵬は2000年にモンゴルから来日した。父・ムンフバトさんは「ブフ」と呼ばれるモンゴル相撲の、日本でいう横綱に相当する称号の持ち主で、メキシコ五輪ではレスリングで銀メダルに輝きモンゴルに初の五輪のメダルをもたらした国民的英雄。ただ、当時15歳の白鵬の体は細く、アマ相撲の大阪・摂津倉庫で稽古をしながら入門先を待ったが、引き取る部屋はなかなか現れなかった。

 摂津倉庫の浅野毅氏のはたらきかけで、モンゴル出身の旭鷲山、当時の大島親方(元大関旭国)を通じ、宮城野部屋に入門することになった。01年春場所で初土俵を踏むが、同年夏場所、序ノ口としての最初の場所では3勝4敗と負け越し。入門したてのころは相撲以前に体を作ることが先決で、まず食べること、体作りに力を入れた。

 技の習得、体の成長とともに番付を駆け上がった。04年初場所で新十両、同年夏場所で新入幕昇進を果たす。この頃は朝青龍の一人横綱で、白鵬は次代のホープと目されていた。

 06年春場所後に大関に昇進。新大関場所の同年夏場所で初優勝すると、翌07年夏場所後に横綱に昇進し、以後、年3、4回のペースで優勝を重ねていった。

 2010年には横綱朝青龍が引退したため、白鵬が角界を支える立場になった。同年初場所14日目から同年九州場所初日まで、昭和初期の大横綱・双葉山が持つ角界記録の69連勝に迫る、63連勝を記録した。この連勝を止めたのは稀勢の里(現・荒磯親方)だった。

 以後も、第一人者として、大鵬の優勝32回(2014年九州場所)、魁皇の通算勝利1047勝(17年名古屋場所)など、数々の記録に到達し、塗り替えていった。

 15年秋場所の途中から横綱昇進後で初めて休場すると、次第に休場が増え始める。ただ出場した場所では結果を残し、2018年以降も年1、2回のペースで優勝した。

 一方で、かち上げなどの取り口について横綱審議委員会(横審)で苦言を呈されたり、優勝インタビュー時の万歳三唱、三本締めといった行動に相撲協会から注意を受けたりすることもあった。

 近年はけがに苦しみ、20年には右膝の手術を受けた。横審からは同年11月の九州場所後に、休場の多さから「引退勧告」に次ぐ重さの「注意」の決議を受けていた。今年3月にも右膝を手術し、進退をかけて名古屋場所に出場。この場所で45回目の優勝を全勝で飾った。秋場所は部屋に新型コロナウイルスの陽性者が出たため全休していた。

 指導者として年寄を襲名するために必要な日本国籍は19年9月に取得。かねて自身の部屋を持ち、後進を指導する夢を語っていた。

 横綱在位は84場所で歴代1位。優勝45回、通算成績は1187勝247敗253休、122場所。幕内成績は1093勝199敗253休、103場所。優勝回数、通算勝利数、幕内通算勝利数いずれも歴代最多。

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