白鵬引退 V45、通算1187勝 玉石混交の土俵人生に別れ

 小手投げで照ノ富士(下)を下し、雄たけびを上げる白鵬=7月18日、ドルフィンズアリーナ
 魁聖を上手投げで下し通算1000勝=16年11月15日、福岡国際センター
 照ノ富士(左)を激しくかち上げる白鵬7月18日、ドルフィンアリーナ
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 大相撲の第69代横綱白鵬(36)=宮城野=の現役引退が27日、決まった。同日、師匠の宮城野親方(元前頭竹葉山)から引退届提出の意向が日本相撲協会に伝えられた。史上最多45回の優勝、史上1位の通算1187勝など数々の大記録を打ち立て、14年以上も横綱に君臨。右膝を手術し6場所連続休場から進退を懸けた先場所、全勝Vで復活を飾ったが、心身とも限界に達した。2019年9月にモンゴルから日本国籍に変更し、5月には年寄「間垣」を取得。30日の理事会を経て引退と年寄襲名が正式発表される見通しだ。

 名古屋場所で果たした復活のV45を花道に、白鵬は最強のまま土俵を去る。照ノ富士の優勝から一夜、モンゴルの後輩横綱に使命を託し、引退届提出の意向が協会に伝えられた。

 2度メスを入れた右膝は「ボロボロ」。8月末、合同稽古に参加したが相撲は取れず。さらに宮城野部屋で新型コロナが発生し、秋場所を全休。体も気力も限界だった。父ムンフバトさん(故人)と約束した東京五輪まで現役の目標も果たした。もう十分やり切った。

 15歳で来日時、身長175センチ、体重68キロで入門部屋が最後まで決まらなかった。2001年夏場所の序ノ口デビューでは負け越し。その少年が20年以上、土俵人生を全うした。

 2010年の横綱朝青龍の引退後、10年以上、角界は白鵬を中心に回った。45回の優勝、16年連続V、通算1187勝、幕内1093勝、横綱899勝…など前人未到の記録は大相撲の歴史に輝く。日本出身の力士は歯が立たず。責任を一身に背負い、野球賭博や八百長問題で人気低迷する大相撲の土俵を支えた。

 「功と罪」ともにこれほど傑出する横綱もいない。2011年3月11日、東日本大震災は自身の誕生日に発生した。白鵬は「宿命」と言い、人一倍の使命感で被災地慰問、復興土俵入りと尽力。土俵も各地へ寄贈した。

 普及では国際親善「白鵬杯世界少年相撲大会」を2011年に自ら創設。今は幕内の阿武咲(阿武松)、琴ノ若(佐渡ケ嶽)ら多数が出場している。

 唯一無二の存在感の一方で言動は物議を醸した。審判批判、自ら物言い、万歳三唱、三本締め…、横綱審議委員会(横審)から「ごう慢」と品格を問われた。最後となった名古屋場所も千秋楽にガッツポーズ。横審は「見苦しい」と切り捨てた。東京五輪では無観客の柔道会場を訪れ、関係者と写真撮影。協会は「常識、非常識が全く分かっていない」と苦言を呈した。

 記録も記憶も残し、土俵外も大いに騒がせた不世出の横綱。異例の長期政権「白鵬時代」が幕を閉じた。

 ◆白鵬 翔(はくほう・しょう)1985年3月11日、モンゴル・ウランバートル出身。2001年春場所初土俵。07年名古屋場所で新横綱。10年に史上2位の63連勝をマークした。通算1187勝は史上1位。19年9月に日本国籍取得。史上最多の優勝45回。殊勲賞3回、敢闘賞1回、技能賞2回。得意は右四つ、寄り、上手投げ。父ムンフバト氏(故人)は68年メキシコ五輪レスリング銀メダリスト。家族は紗代子夫人と1男3女。192センチ、155キロ。旧名ムンフバト・ダバジャルガル。

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