【五輪コラム】次は新しい歴史をつくれ 小林陵侑、圧勝で金メダル
6日夜に行われたノルディックスキー・ジャンプ男子個人ノーマルヒル(NH)で、25歳の小林陵侑(土屋ホーム)が優勝した。冬季五輪の個人種目で日本のジャンパーが金メダルを獲得したのは、1972年札幌大会70メートル級(現NH)で勝って日本人初の冬季五輪覇者になった笠谷幸生さんと、98年長野大会ラージヒル(LH)を制した船木和喜選手(フィット)の二人だけ。笠谷さんも船木選手も、小林陵の圧倒的な強さをたたえた勝ちっぷりだった。
▽ちょうど50年後
78歳の笠谷さんは既にジャンプ界から身を引いており、札幌市の自宅でテレビ観戦した。「ただただおめでとうだ」と電話口の向こうで祝い「ウイスキーがうまいよ」と笑った。
64年東京五輪の8年後、これもアジアで初めて開催された冬季スポーツの祭典で、笠谷さんは2位金野昭次さん、3位青地清二さんとともに表彰台を独占し、「日の丸飛行隊」として日本中を熱狂させた。それが2月6日だった。ちょうど50年後に小林陵が同じ種目で勝った。それを聞かされ「そうかね。そりゃいいね。不思議だな」とまた笑い声になった。
現場から引退した身だが、日頃から各地を転戦して行われるワールドカップ(W杯)などをテレビで見て、世界のジャンプをチェックしている。小林陵を特別な存在として見るのは、その踏み切りから空中に飛び出すあたりという。好調時の映像を目にすると「背中がザワリとする」そうだ。怖いという。
笠谷さんの時代は踏み切りで力強く蹴って高く飛び出した。V字飛型になった今、飛行曲線をより遠くへ、大きくするには飛び出しでできるだけ前方向にするのがいい。ただしあまり突っ込むと、バランスを崩して重量の重い頭から真っ逆さまに落ちる。小林陵はそのぎりぎりで飛び出せるという。笠谷さんは実体験、つまり自分の昔の踏み切り方に照らし合わせると、落ちてしまうイメージしか抱けない。だから「ザワリ」とする。元祖レジェンドに恐怖心を抱かせる技術といえる。
▽先制パンチ
笠谷さんが小林陵と比較して「一番いいときが一緒」と表現するのが、46歳の今も飛び続ける船木選手だ。長野五輪ではLHのほか、雪中の大逆転劇でこれも日本中を沸かせた団体で勝ったが、最初の種目だったNHは銀メダルだった。普段でもW杯でNHの試合は少なく、飛び慣れていないから攻略するのは難しい。
滞在先の東京でテレビ観戦した船木選手は「完全に支配していた」という試合運びを高く評価した。ジャンプは2回飛んで飛距離と飛型などの合計得点を競う。単純なスポーツと思われがちだが、微妙な駆け引きもある。実力が上がれば上がるほど、勝負に重要な要素となる。船木選手は全盛期、それを頭に入れて飛んだ。つまり自分だけではなく、状況を頭に入れて戦った。
1回目に有利な向かい風をもらえなかったが、笠谷さんもびっくりした完璧な飛躍でトップに立った。このジャンプ台は風が不安定で有力選手もてこずった。そこで圧倒的な実力をぴったり合わせ、先制パンチを見舞わせた。いわゆる先行逃げ切りパターンに持ち込んだ。
船木選手も不安定な気象条件なら1回で打ち切りになるとか、1回目で少々の出遅れても巻き返せるだけの順位にいるとか、いろいろ考えて戦った。この日の小林陵の勝ち方も、かつて自分が経験した一つの勝利が浮かんだのだろう。だから「支配」という言葉が出た。
▽次は新しい歴史を
札幌五輪から26年後が長野五輪で、その24年後に北京五輪がある。小林陵は金メダル獲得で大先輩の実績に並んだ。次は新しい歴史をつくる番だろう。12日に個人LHが控える。2人がなし得なかった個人種目の2冠が目標となる。笠谷さんは「LHで勝ってもらいたい」と期待し、船木選手も「LHは勝つ可能性がもっと高い」と言った。2人の先達が太鼓判を押したLH、今から楽しみになった。(共同通信・三木寛史)