【五輪コラム】2人の涙から考える 五輪とスポーツ界のあり方
閉幕が近づいた北京冬季五輪。今大会も競技会場では多くの涙のシーンがあった。4年間の長い準備を経て、最高の栄誉の舞台に立つ選手が抱く感情は特別なものに違いない。歓喜の涙も、落胆の涙もあった。中でも2人のトップ選手の涙は忘れがたいものになった。
▽ワリエワと高梨
フィギュアスケート女子で優勝候補だったカミラ・ワリエワ(ロシア・オリンピック委員会=ROC)に重大なドーピング疑惑が浮かび上がり、重圧の中で演技したフリーでジャンプをことごとく失敗した。
今季はグランプリ(GP)シリーズで2戦2勝、ロシア選手権と欧州選手権でも優勝していた。わずか15歳にして異次元の強さと言われていたのだ。フリーの演技後、リンクから上がるときには既に失意に暮れていた。採点の掲示をコーチの横に座って確認する際には顔を覆って泣き崩れた。
スキージャンプの混合団体では規定違反のジャンプスーツを着用したとして、日本を含む強豪4チームから女子ばかり計5選手が記録を抹消された。日本女子のエース、高梨沙羅は責任を重く受け止め、競技エリアの隅でうずくまって泣いた。
▽裁定は正しかったのか
ワリエワに対して、昨年12月のロシア選手権のときには行われたドーピング検査の結果が世界反ドーピング機関に通知されたのは、通常よりも約1カ月も遅い今大会のフィギュア団体終了後だった。
禁止薬物の陽性が判明し、ロシア反ドーピング機関は資格停止処分としたが、なぜか翌日にはそれを解除した。国際オリンピック委員会(IOC)は出場差し止めを求めてスポーツ仲裁裁判所(CAS)に訴え、その裁定でワリエワは出場を容認されたが、国際的にトップニュースとなった問題の重圧は日に日に大きくなったに違いない。
ショートプログラム1位で迎えたフリーの演技で、15歳の新鋭は信じられないような崩れ方をした。フリーの順位は5位で、合計得点でも4位に沈んだ。
出場を差し止めれば、夢を奪い去ることになり、それは取り返しのつかない損害を彼女に与えるとした仲裁裁判所の判断は果たして正しいものだっただろうか。
裁定では、16歳未満の「要保護者」の人権を尊重する、新しい考え方に沿った判断だと説明された。だが、既にリンクに立つことができないほど大きな重圧を背負っていたに違いない彼女に対し、裁定は結果的に出場を促すことになった。
失意に暮れるワリエワの姿を見た多くのファンは、出場を認めるべきではなかった、あるいは出場しない方が彼女のためには良かったと思ったのではないか。
採点確認の場で、ワリエワの横に座ったコーチは「どうして戦うのをやめたの」「説明しなさい。なぜ諦めたの」と詰問したと、欧米のメディアは伝えた。ワリエワを取り巻く環境には、どこかとても冷酷で不気味なものを感じた。
彼女が負った心の傷は深く大きいに違いない。立ち直ることができるか心配だ。
▽ルールぎりぎり
ジャンプスーツの規定違反の問題でも、スポーツの健全な精神に反する、いびつな実態を感じた。
体にぴったりフィットしたスーツより、体の周りにゆとりがあるものの方が空中で浮力を受けやすいため、強豪国を中心に用具で他チームより一歩先に出ようと、激しい競争を展開している一面が浮かび上がった。
日本チームは、普段のワールドカップ(W杯)などとは異なる検査方法だったことについて、国際スキー連盟に説明を求める意見書を出すとしていた。しかし、日本を含め4チームとも、検査基準が間違っていた、あるいは検査方法が不適切だったとの指摘も、検査の無効を求める抗議も行わなかった。この事実は、自分たちに非があったと認めるものだ。
日本チームからは、どのチームもルールぎりぎりのところで競い合っていて、それをやらないと勝てない世界なのだとの声が聞かれた。なるほど、目に見えないところで、そうした競争もあるのかと、現場の最前線を垣間見る思いだった。
しかし、立ち止まって考えれば、この競争は不健全だ。どうやら検査が甘さそうだとみると、規定よりも大きなスーツを着用し、検査が厳しそうだと感じると、規定内のものを用意する。ルールぎりぎりというのは、そのような小細工ではないのか。
国際スキー連盟が違反の摘発に、チーム側がその摘発を逃れようと、ともにエネルギーを費やすならこれは愚かしいことだ。
高梨を含む5選手は、いずれも個人が「今日はこれを着よう」と選んだものではなく、各チームの指示のもとに着用したと考えられる。表彰台を逃したことに高梨がSNSにつづった「私の失格のせいでみんなの人生を変えてしまった。大変なことをしてしまった」との思いに、胸を痛めた人は多いだろう。
選手を決してこのような状況に追い込んではならない。ジャンプ界全体で健全な競争のマインドを確立してほしい。(共同通信・竹内浩)